無職がザノンフィクションを見て50手前のアル中ニートに感化された話

f:id:pirinzaraza:20210626191950j:imageあまりにも日々が漫然としている。漫然とした日々への焦りから計画的行動を起こそうとすると頭がショートして再び漫然へと戻るサイクルを繰り広げている。そのため焦りを感じた瞬間に無駄に鼓動がいっとき妙に早く脈打った、というだけの事実のみがただ残される。少し前から気づいていたがこの「ひどい焦り」の決め手になったのは3、4日前の深夜につい無職の分際で手を出してしまった「ザ・ノンフィクション」のある回だろう。私が観た回はガードレール下のある呑み屋で酒を引っ掛けている婆さんとその息子に密着した回で、息子は47歳、無職のアル中であった。ただ「無職のアル中」という言葉のイメージとかけ離れていたのは息子が50手前の人間とは思えない程純真無垢で、酒を飲んで暴れている姿から真面目に話しているときの挙動まで一貫して10歳前後の少年のようであったことだ。下手すればもう少し幼いくらいかもしれない。
その回がいつ放送されたものだったかは確認していないがおそらく10年以上は古そうな画質で、当時で47だったということは彼が若い頃には「発達障害」への認識及び理解があまり広まってなかったのではないか。その番組は親の年金に甘えてアル中生活を謳歌している人間にクローズアップしているというより、どう足掻いてもその生き方しか出来ない蟻地獄のような生活をそのまま切り取っているように見えた。「どうにかしようにも、どうしようもない」という鬱屈とした空気が画面全体に漂い続けていた。


ここで私の話になるが、私は「他にもっと苦労してきた人はいる」ということは大いにわかりきったうえで自分の半生はなかなか酷いものだったとはっきり言おう。幼少期からの八つ当たりによる肉体的な虐待、食事をもらえない家に入れてもらえないなどのことは置いておいても呪いのような人格否定の数々による徹底した自己意思の否定により、空っぽの状態で遠く離れた親の体裁自慢用大学へと送り出された。ほとんど援助のない状態で、なんのかんのと私の非らしきことを最もらしくでっち上げられ、それを理由に入学金と最初の学費以外の費用は払われなかった。
辞めて何かが出来ると思うほど生きる術も明日より向こうを見る力もなく、そのまま奨学金を借りて生活費のために色々なバイトをしながら学校へ通う生活がほぼ強制的に始まった。
だが、ほとんどの仕事で人と深い人間関係を築いたことがないことによるコミュニケーションの壁や自信のなさ、意思表示をする力の弱さが全面に出てしまい不当に馬鹿にされることや搾取されることが癖になってしまうことの繰り返しであった為、親元を離れてからの生活も生きていて楽しいと感じれるようなものではなかった。
人に相談をすれば「甘えている」「社会を舐めている」の一辺倒の説教をもらい、社会に守られている立場の人間に社会を舐めていると言われる矛盾に怒りを覚えつつもそうされる自分を受け入れてしまうような意思の弱い人間なのだ。。
それ故にお金を稼ぐことも人と関わることも、一人で部屋にいる時間をただやり過ごすことでさえも、起きている間の時間という時間が視覚化されるならば小さい針でぷつぷつと自分を差し続けるように居た堪れなかった。


そういった過去があった為、これは私の非常に悪い点であるがどうにも自分より恵まれた環境にいる人に対して非難的なものの見方をしてしまうようになった。例えば、失敗したら実家に帰ればいいという保険のある破天荒風な人や、18超えて実家暮らしで親の悪口を言っている人などはその対象になた。
「パンがなければケーキを云々」と言えるような貴族が城の人間関係でめそめそしているのを可哀想というのに明日食べるパンもない状況で毎日気丈に振る舞っている貧民が根を上げたらそれは我儘だとされるのか、と事実ベースの悲劇的妄想が遠い誰かのSNSを通して肥大化する。


しかし、ザノンフィクションで見た彼は「我儘なくせに悲観的な貴族」ではなく私と同じように「生きていていい時間軸」を見つけられないから起きている間の時間を針のむしろに覆われるように鬱屈とした感情で漫然とやり過ごし、その為に目が覚めれば酩酊するまでアルコールを摂取している様に見えた。VTRの限りだが彼にそれ以外のなんらかの趣味は見受けられなかった。


母親から一心に愛情を受け、責められつつも居てもいい居場所があって明日死ぬようなことにはならない、甘えきった様な状況にいるように見える彼に羨ましく思う気持ちよりも自分と同種の苦しみを持つのではないかという気持ちが募っていく。そんな、今までの自分が字面だけ見たら「羨ましい」と判断し非難してしまうような持ち物を持っている彼の生活が、ゆるやかな死への道でしかないことが番組の後半でわかる。4年後、彼はあまりにもあっさり亡くなってしまったのだ。
自殺ではない。彼の世話を出来る人間が、たまたま不在だったというだけの話だ。


途中省いてしまったが、彼もずっと無職な訳ではなかった。過去にはきちんと働きに出ていたこともあった。番組の中盤では母親の飲み友達であり家族以外で唯一彼を気にかけてくれた人が大病を患って「こうなったら誰も助けてくれないぞ。自分の力で生きろ」と言ったときや、母が心労から衰弱し入院することになったときにはおそらくは「働くことの意義」を考えることよりも先に「働かせてください」「お願いします」と方々を駆け回り窓口で年齢を理由に門前払いを食らっていた。
それでも彼は諦めず、なんとか番組スタッフの紹介で仕事を見つけてきちんと通うことができていたのだ。
印象的だったのが、彼がその職場の寮で暮らすことが決まった日に素面で述べた「自分は経歴も技術も体力もないから目の前にある出来ることを頑張るしかない」という旨の発言だった。普通のことを述べているだけなのだが、私には彼の口からそういう言葉が出てくるのが意外だった。
意外、というのは少し違うかもしれない。例えば身体に同じ痛みを受けるのであれば、気絶していたり麻酔が効いていて感覚がないような状態であってほしいと思ってしまうのと同じように彼の様に仕事も趣味もなくおそらくは他の人が人生で味わうことに何分の1も楽しい思い出を持つこともなく、毎日をやり過ごしている状態の人には自分自身に対する感覚も麻痺していて欲しかったのだ。
自分に何が足りなくて、何をやるべきで何ならできるかなんてことを人前で素直に語れるような人間がこんな袋小路のようなところにいていいのか。
自省することを辞め、社会のせい世の中のせいと主語ばかりが大きくなる、獣の様な人間だっていくらだっているのだ。
もしくは、挙動の幼さ通りにそもそも自己に対する思考が及ぶことのない程無垢であれば、出来ないことが積み重なってきた現実の重みから解放されていただろう。


実はこの手記は書き始めた当初から二週間ほど経っているのだが、こんなにかかってしまったのは後半に行くにつれ私も他人事の様につらつらと書いてきた彼のことを通して自分自身を見なければいけなくなったからだ。
勿論、まったくの他人事だったらそもそも書き始めることもなかっただろう。だが、稼げなくても母親という唯一無二の愛情を与えてくれる存在があって、居場所だってある彼がそれなりに1人で苦労してきてずっと孤独だった自分と重なるのが一体どうしてなのかということを考えたときに「じゃあ人間には何が必要なのか」「私と彼には何が足りないように見えたのか」を考え至る必要があった。


私はヘンリーダーガーやゴッホのような、他者から見たら何ら理解の出来ぬ面白みもなければ社交性にも欠けた「人生を楽しんでなさそう」な人間がその孤独故に濃度の高い自由を内部世界に見出して類い稀なき存在となることを、とても美しく価値のある凝縮された人生の煌めきだと思う。私と同じ様に彼らの孤独の美しさに酔狂する人、憧れを抱く人は全世界でも多い。
一方で人間はやはり社会的な生物で、社会的に必要されないという状況は人を蝕む。ゴッホの精神面が穏やかなものではなかったというエピソードもまた有名だ。
彼らに煌めきがあるのは「救い」を内に持っていたからだと思う。
その「救い」と「社会的役割」の両方がなかったことが過去の自分と件の彼を私が重ねて見てしまう部分に思えた。
突飛な仮定の話であるが、もし彼が資産家の息子だったりして沢山お金があって、世話をしてくれる人にも困らなければこのような死に方をすることはなかったかもしれない。しかし、社会的な役割に恵まれなかった時点で彼の日々が漫然としていることには変わりはないように思える。
無論精神的に自立した「大人」ならば社会的な役割に恵まれなくとも先に上げた偉人たちの様に人生に煌めきを見つけることができる。何も自分を主体にした芸術である必要などはなく、アイドルやアニメに熱狂したり、ゲームに没入したり、または宗教やスポーツやペットを飼うことなど、人間の内なる部分に煌めきを与える「趣味」というものは幾らでもある。
もし件の彼の「50手前、アル中」というプロフィールに「一日中ゲームをしている」「アイドルのおっかけをしている」などが付いていたら私はこんなに絶望感に心を動かされることはなかっただろう。

 


障害や周囲の環境により、好奇心やこれなら好きだ、得意だといえる何かが育たない人がいる。
私は2年ほど非行少女の住む施設で寮母のバイトをしていたことがある。彼女たちの多くが家庭に問題があったり先天的または後天的になんらかの障害や精神疾患を持っていた。
彼らは一見すると人懐っこく朗らかだが、先述でいう「煌めき」に対する土壌を持たぬ感じをよく見受けた。
話の流れ的に「煌めき」とひとくくりにしてしまったが「何かに深く興味を持つ能力」「思考に枝葉を持つ力」が同年代の子に比べるととても弱く感じた。
これには突如外に出てきたときに眼圧がかかるほどの眩しい、晴れた日の空の綺麗さや森林のすーっとする穏やかな匂い、道端で見つけた小さな花の鮮やかさに「自分が今、それを見て、感じている」という「自分らしい」体験を認識しているか否かということも入っている。
そういう、当たり前に対する「自分が獲得した体験」という意識を持たぬことにより幸福度を測るものさしがより刺激的でわかりやすい、「自分の外からもたらされるもの」に左右され自ら相対的な不幸状態を背負い込んでしまう。


こんな風に他人事で長々と文章を書いている私自身も、18で家を出てすぐの頃から絵を描くことを覚えるようになるまでそうだったのだ。だから、自分だって無職のくせに「彼がどうあったら幸せになれたのだろうか」などと神様目線で考えてしまうに至ったのだ。
私は彼を通して自分自身にかつてあった、今でも油断すれば戻ってしまいそうな「生きがいのない」「私らしさのない」灰色の世界を追体験していたらしい。誰からも求められていないのに、自分からも求められていない世界は本当に、あまりにもあまりにも寂しい。好きなことがあることがどれだけかけがえのない、1人の人間が生きていてもいい理由になりうることか。
たまたま好きなことに出会えて、たまたま好奇心の土壌がこっそり残っていた私が今救われているとするならばそれを容易には手に入れられない状態の人が救われるには、何が必要で何をすればいいのだろうか。


この文はすべて、私のエゴでしかない。彼は彼で酒があって母があって家があって、それで幸せだったのかもしれない。あくまで私が自身を投影した決めつけの話だ。

私には今職がないけれど、日々を楽しむことができる分マシだという浅ましい選民意識まで滲み出てしまっているかもしれない。誰かに手を差し伸べることができるとも思っていない。他人を通して自分を見るに至った、あくまで思考の寄せ集めでしかないのだ。