③両親の私に対する執拗な性教育と妹の在学1年めでの妊娠

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それは今年の3月のことである。番号さえ知っていれば送りつけることができるCメールの文章が唐突に待ち受けに表示された。
「久しぶり。ご報告です。この度、かねてよりお付き合いしていた方と結婚しました。お腹に5ヶ月の赤ちゃんもいるよ。大変だと思うけど、学校も卒業できるように頑張ります!
追伸 お母さんもまた会いたいって言ってるよ」
こんな文面だっただろうか。

 


読んだ瞬間、電波を超えて私が悪阻になったのかというくらい猛烈な動悸と吐き気に襲われた。
なんでこの人達は、わざわざCメールなんてものを駆使してまで私の「触らぬ神に祟りなし」というスタンスを突き破ってくるのか。
どこから書こうか、この一方的かつ順番だけいい風に変えて言ってみた妹のもはや特技であろう「都合の良さ」。
これだけでももう虫唾が走るほど気持ちが悪い。相手がどんな人でどんな関係かも書かず、安定期に入ったタイミングで突然Cメールを送りつけてくるのだ。それなら連絡が来ないほうがいい。過去のおまえはその程度の相手に助けて欲しいと相談をしていたのか。日本都合いい選手権を開いたら優勝できる代物の都合の良さである。それに加え、母はまだ50代のはずだが早くも痴呆になったのか、私とのやりとりの都合の悪い部分をまたケロッと忘れてしまったらしい。
この文面は翻訳すると
「ご報告です。この度私は2年も浪人して入れた実家から私立大学に行くことを名目に離れた結果、男と在学1年目で中◯しセッ◯スをして孕んでしまったので結婚しました!大学のお金はかかるけどお姉ちゃんが我慢してくれた分潤沢にあるので子育てしながら卒業します!私は頑張り屋さんなので子供を産んで育てます!親とは仲良しで応援してくれてます♪」だ。

 

 


ここから私の性的倒錯の話をしていきたい。
性に対しうっすら知るようになったのは小学4年生あたりで、大体の女の子と同じくらいだろう。
最初はゲーム等の娯楽を禁じられていた中で図書館で借りていたシリーズものの推理小説の話を母に聞かれたときに、意味も分からず「男の人と女の人が裸で抱き合う描写があった」おかしいよねと笑って話すと家族会議が行われた。「そういうものを読むと男性に愛してもらえない女になる」意味もわからないのに正座で説教をされ、その本を読むことは禁じられた。意味がわからないのにたまらなく恥ずかしかった。
それからしばらくしてだろうか、「おもしろフラッシュ」というサイトが流行った。
私もやってみたいと親にねだったら限られた時間のみ見ていいという許しを得た。そのおもしろフラッシュには所謂大人系のリンクやバナーが存在し、それまでそういうものを知らなかった私は「なんだなんだ?」とリンクを踏んだ。アニメーションで、同い年くらいの子のスカートが捲られるGIFも見たが当時興味本位でそこまで意味はわかっていなかったと思う。文字通り「知らない世界を覗いた」だけだ。うわー!なんか、すご…なんだこの世界…!という感じだった。AVを見たり変なサイトに登録したりなんて大それたことは出来るはずもない。これは、思春期なら誰でも通るちょっとした探検だ。


翌日、家族会議が行われた。父母揃って一つ一つのリンクを目の前で確認しながら質疑応答が行われ、「こんな子供が悪いことされるようなGIFなんか見て…お前は性犯罪者予備軍だ!お前を産んだことが恥ずかしい」「なんで?なんでこんなことが出来るんだ?お前は人間か?」と徹底的に詰められた。涙でグチャグチャになった。その場にいることがあまりにも恥ずかしく、自分という存在が愚かで汚くて仕方がなく、この地球上から消えてしまいたい心持ちになった。
今思えば「お前を産んだことが恥ずかしい?面白い話し方をされるんですね。このリンクにあるような行為をした結果が私で、それと同じ行為が存在することを私が知って一体何がおかしいんですか?」と返せるだろう。
近い年齢のアニメーションを踏んでしまったのも、私が当時の私くらいの女の子に欲情しているという捉え方はいかがなものか、あまりにも歪んでいる。普通に考えれば単純に自分に近いものを見ただけだとわかるだろう。
こうして私はそういうことに興味を持った自分の恥ずかしさや不潔さを心の深いところに刻まれることとなった。
今思えば誰もが知って当たり前のことで、むしろ知らないままに大人になることはまずいことだ。しかも女の子で、非常にデリケートな問題。もし彼らに善意があれば「気づいてもそっとしておく」くらいが最適解だったであろう。


それから月日が過ぎ去り、中学生になった。私はEメールを解禁された。他の子は当たり前に携帯を持っていたし、なんなら6個離れた妹も携帯を持っていたが何故か私は許されず、居間にあるパソコンで限られた時間のみEメールに講じた。そうした中で、多感な時期である。同じ部活の子の愚痴や隣のクラスの男の子とのちょっとした猥談も含まれた。


隣のクラスの男の子と猥談をした次の日、再び家族会議が始まった。メールにはパスワードをかけてあったが、パスワードはパソコンの所有者権限で私がメールを始めた頃から暴かれており、父母はまるで警察が泳がせた犯人を観察するかのように私がメールで人とやりとりをする様子を、罪に問える瞬間が見つかるまで眺めてはニヤニヤと愉しんでいた。
私が「勝手に見ないで欲しい」と言えば「反抗期」と笑い、愚痴や猥談をしている方が悪いだろうがとこちらが恥ずかしいと思う気持ちを利用し何度も何度も「この売女が」等一番触れて欲しくない部分に触れる。
答えられないのをわかっていて「どうしてこんなことをメールに書くの?」と一つ一つ開いて見せながら問う。「相手の親や先生にも言わなきゃね」とニヤニヤしながらこちらの様子を確認する。
それだけはやめてください、とこちらが嗚咽を漏らしながら泣き叫ぶと「子供の分際で親のすることに口出すな」と罵り最終的に私が死んだ目で「お願いします、ごめんなさい…」と繰り返すに至る。
そうすると「今の言い方はなってない。今の言い方からはお前が本心では謝りたくないと思ってるのが伝わる。今のは精気がないから心を込めろ。何をしたことをごめんなさいだ?自分の口で詳しく言え。そうやって心を込めて謝ることもできないのか反抗期め。このままいくと売女になってエイズで死ぬから今止めてやってるんだぞ。」などの発言が両親それぞれから乱発される。
大体こんな感じだっただろうか。
最終的には「相手の親と先生に連絡しなかったこの懐の大きさに感謝しろ」という形で終幕した。
どんなに恥をかいたとて、温かい布団で朝まで寝れることがいかにありがたいことかを年中夜中に締め出されていた私は知っている。眠れるならば優しい方なのだ。


父はこのような一連の流れを「雨降って地固まる」と言って気に入っていた。
この世で一番汚い言葉だ。


彼らにとっては私が苦しめば苦しむほど自分達の影響力や支配力を如実に感じられるようで恐らくあれは本来は私が絵を描いたり文章を書くとき、仕事がうまくいったときに得るような脳内幸福物質に近いものを感じてエクスタシーに近い瞬間を獲得する行為だったかのように思う。
私はこれを「他人を使った覚醒剤的効果」だと思う。これは推測だが、覚醒剤のように効果が薄れてくると再び打たなければ最初よりひどい無力感に襲われて自分が保てなくなる、そういう効果なのではないか。


だからこそ思春期の少女の抱く、特に性愛に関する秘めた羞恥心を引っ張り出して曝け出させてぐちゃぐちゃに踏み潰すことはさぞや対象の絶望感が直接的に伝わって気持ちよかったのだろう。彼らはその瞬間、一人の人間に関する全権限を握れる「王」としての絶大な支配力に陶酔するのだ。彼らのそれは私を使ったオナニー或いは薬物使用行為だ。


そんな関係性もあり、私は自分が「女の子」であって「女」であってはいけないような強迫観念に蝕まれるようになる。その一つの結果が、初潮が来たときに母に言えずティッシュ股間に詰めて3日間もひた隠したことだ。正月でお参り等移動する機会が多く、初めてでどのくらいの量が出るのかも推測が出来ず当たり前に履いていた下着やジーパンは血に染まった。普通の女の子の感じるアンニュイな感情とはおそらくまったく異なる意味で、生理になってしまった自分がまるで犯罪者になってしまったかのように気持ち悪く絶望的な存在に感じた。洗濯物も風呂でこっそり洗うなどして隠したりもした結果程なくしてバレたが、それについて特に言われることはなかった。

 


中学2年の時だったろうか。この頃の私には娯楽がなかった。
軟禁状態で漫画や小説を読むことも禁じられ、音楽を聴きながら勉強をすると集中できるという主張すらも気に入らないらしく「サボっている」と取り上げられた。あまりに娯楽が無さすぎて父が昔聞いていたスピッツのCDの歌詞カードだけをこっそり拝借して記憶の中のリズムに合わせて脳内で再生するのが隠れた娯楽だったくらいだ。どこの時代の、いやもはや無人島にでも住んでいるのかという程の文化の届かない空間である。
たまにスーパーに行くふりをして近所のワンダーグーで漫画誌の立ち読みをすることも救いであった。
元々多動傾向にある中学生が何もない場所に閉じ込められて何をするか。答えは「絵のついた恋愛小説を書く」だった。つくづく私もめげないものだなと思うが立ち読みで初めて知ったレディコミの、少女漫画とは違う大人の世界に影響を受け「自分も近いものを書いてみたい」と思ったのだ。
あえて直接的に言ってしまうならば当時人気だったジャニーズ系のイケメンといい感じに出会ってビックリする程チヤホヤされた後に性的展開に発展するという27歳の私が今ここでそれについて書いていることすら赤面ものである内容だがよくよく考えれば「そのくらいの年齢の子は皆そういうこと考えるよな」というものだ。むしろ、なんらかのキャラクターやコンテンツに頼ることなく恋愛未経験の中学生がご丁寧に色鉛筆まで引っ張り出して夢想を形にしているのだから結構大したものじゃないかと褒めてあげたいくらいくらいだ。
その、勉強しかさせてもらえない日々でこっそりとノートの下に敷き、少しずつ制作をしていた「アダルト恋愛小説ノート」も当たり前に発掘されるに至った。


今までにも隠し読んでいた漫画や小説を「掃除」という名目の元発掘されたことがあった。親の権限を大いに使い他人の部屋を漁ることが生業のような母であってもさすがに一応建前は「掃除」や「こっそりサボっていないかのチェック」だったために私は目立たない大学ノートでわざわざ中身まで確認しなければならないものは対象外であろうと考えた。それでも学校に行くときには教科書と一緒に持っていったりなどの工夫を凝らしていたが、ある午前のみ登校の日、迂闊にも過去にとった勉強用ノートの山に紛れ込ませれば気付かないのではと思いその山の中にノートを入れて家を出た。引き出しの裏やベッドの裏、換気扇の裏はかえってバレやすい。木は森の中に、大学ノートは勉強ノートの中に、だ。
数時間学校に行って帰ってくると散らかり放題の部屋の真ん中で母親が雄叫びをあげていた。見ると、私の例のノートが広げてある。一体いつからこの様な状態だったのだろうか、少し前に見つけて、私が帰ってきたタイミングを見計らってノートをセッティングして雄叫びをあげ始めたのだろうか。
帰ってくるなり「えっ」と声をもらし「なんで…」と言いながらノートを取りに走った私は「近づくなケダモノおおおおお」と言いながら放った母の足払いで盛大にこかされた。現実世界にそんなお蝶夫人的な人しか言わなそうな台詞を大真面目に放つ人がいるのか。母は大袈裟に震えながら「助けて…襲われる……この子に襲われる…!ヒィ…!」などと宣った。
もう、自らの羞恥心と隠していたものをたった数時間の間に見つける執念深さと自分のした行為を棚上げして人を非難する目の前の人間をどう扱えばいいのかで頭がこんがらがって収拾がつかなかった。なによりも、掃除という名目もやはり人の隠し事を覗き見るという彼女にとっての極上のエンタメだったのだということの実感がおぞましかった。ほかに楽しいことがないのか。
私は「近づくなァ」と言いながら部屋のものを手当たり次第に投げる母親に「なんで見た?!なんでわざわざ一冊一冊確認してまで探した?人が隠してるものをそうやって漁って見つけて楽しいか?」と言いながら私より12cmも身長が高い母に歩み寄った。歩み寄りながらも体格差では負けるし、そもそももうこうなってしまった以上どう収拾をつけるのか、今日は寝る場所がないかもしれない。それよりもこの後ずっと自分のしたことについて責められ続けるのか…なんでもいいから早く終わってほしいというしごく冷静な思考回路を働かせていた。もし私が体格差で母に勝っていて母を殴って黙らせることに成功したにせよ、その後帰ってくる父親は私を許さない。この後どうすればいいのかについてまったく想像がつかない。祖母の家に瞬間的に逃れるにせよ「エロ小説を書いていたのが見つかった」なんて言えるわけがない。祖母だって、今まで書かなかったが父母よりマシなだけで決してなんでも受け入れて助けてくれる程良心的な人間ではないのだ。羞恥を晒して普通に生きたいだけの私がより生きにくくなるだけだ。
私は母から無理矢理ノートだけ奪い取ってビリビリに破き始めた。そのすぐ後に部屋からドタドタ消えていった母が担任の先生を呼んだからもうすぐくる、お前のその狂った姿を見てもらうと勝ち誇ったように言ったときは「よりによって中年のおっさん教師が今ここにきて、彼に何をどう説明すればいいのか」ということを頭で猛烈に回転させながらも「とりあえず収拾がつくかもしれないということ」に安心した。親以外の身近な大人が介入することで、母や父から一方的に責められるという状況だけは避けられる。母のやった到底人権を尊重しているとは思えない行動に関しては先生にしっかりと公正に判断してもらおう。担任が来るまで狂ったフリをしてノートを破き続けて時間を稼いだ。


でも、先生だろうがなんだろうが他人だった。担任が家に着くなり外面ばかりいい母は「助けてください!うちの娘が気が狂って部屋のものをぐちゃぐちゃにして…意味がわからなくて」と言う。
部屋に乗り込んできた担任に私は「このノートをビリビリに破ったのは私だけど、部屋をぐちゃぐちゃにしたのは母なんです」と言った。担任は、念入りに何故こういう状況になったかを私から聞き出した。私は泣きじゃくりながら「見て欲しくないノートがあって…」と言った。ノートにはどんなことが書いてあったのか?母親がそこまで怒るほどの内容はどんなか?親に直接聞いた方がいいか?と問う中年男性教師に「親にだけは聞かないでください」と言って苦し紛れに「わ、悪口とか、不満とか書いてたんです…」と言った。担任は「そうか、じゃあそういうものを書いて見られてもしょうがないところに置いておいたのは悪かったな。先生が横にいてあげるから一緒に謝ろう」と言った。
もう、それから暫くのことは覚えてない。まあ父の言葉を借りるならば無事に「雨降って地固まった」訳である。私の羞恥心を大いに犠牲にして、だ。担任がその後あの事件がこっそり書いたエロ小説が原因だと知たったかどうかは今も知らない。

 


それから性愛に関する興味は心にしまって高校生になった。高校2年生の頃、モテないながらに隣のクラスの人と数ヶ月だけ付き合った。高校生の恋愛なんてそんなもんと言ってしまえばそこまでだが一応好きなはずの人がバスの二人席で横に座っていて、バスの揺れるタイミングで膝がぶつかることが気持ち悪くて居た堪れなく感じた。家に行ってそういう雰囲気になったときにはどうしても嫌で断った。その人が嫌というよりは、初めて生理になってしまったときと似た強迫観念で大犯罪者になってしまうような、もし身体を許してしまったらそこの部分でしか愛してもらえない女になってしまいそうな私が渡ったら確実に落ちる橋の前に立たされている気分だった。私はこの「渡ると落ちる橋」に気が遠くなるほど長い間振り回されることになる。


今思えば恋愛を性を抜きにして語ることなんて無理があるのにそうでなければいけない脅迫観念と内側に渦巻く興味とで板挟みになっていたのだ。


高校で出来た恋人とはそういったこともあり大して続かなかったが、なぜか「カレピが出来た」という話にはやたら寛容で同年代の友人のようなノリで話を聞きたがった母から別れて数ヶ月後のあるとき「あのさ…あんたも子宮頸がんのワクチン打った方がいいと思うんだけど変な意味じゃなくて経験があったら意味がないらしいから聞くけど、どうなの?」と妙なヒソヒソ声で聞かれて「ないよ」と答えた。母は「あ、そーなんだーそれだけ」と言って寝室に戻っていった。
妙に気まずい空気だった。
暫く経って私から「子宮頚がんのワクチンは?」と聞いたら「あ、あれは年齢がもうちょっと下じゃないとダメみたいだったー忙しいし間に合わなかったね」と言って誤魔化されたが、当時まだ高校生で早生まれだった私は年齢的に対象外であるはずがなかった。
なんとなく見てみぬふりをしていたが、大人になってからあれがワクチンなんて本当はどうでもよくて自分の娘が経験をしたのかしてないのかを聞き出したかっただけだな」と気づいてしまったときは猛烈に吐き気がした。あのときもし「経験した」と言っていたらまた家族会議でも開かれていたのだろうか。あの妙な聞き方、母はどうせ父に頼まれて聞いていて、寝室に戻った後はその話で持ちっきりだったんじゃないか。どうしてあの人達は「興味」という抱けば抱く程色んなものが開拓できて色んな人と繋がれて楽しいツールを、我が子を虐めることにしか活用できないのか。


私が性愛において本当に苦労をしたのは無論、親元を出てからだ。