深夜の安穏と日々への滑落

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ぐんにゃりとした痛みのある頭を無理やり持ち上げ、左目の付近にもぼんやりとした違和感があるのをなるべく気にしないようにしながらのそりと部屋を出る。

部屋に食料の蓄えをあまり置いておかないのは外に出る理由がなくなることを避けるためだ、とのたまっておきながら最近のもっぱらのお気に入りは冷蔵庫に放り込んである「ちょっと高級なバター」を小腹が空いたときに齧ることである。無論私がものぐさだからというわけではない、これがバターの一番美味しい食べ方なのだ。

さりとて今日のところは24時間もほぼ横になって創作はおろか何も益のあることを行っていないのだから、少しばかりは外に出なければならない。一番近くのセブンイレブンブリトーを買った。

人間というものは人によって程度は違いつつも内に言葉を飼っているものだが、この、セブンイレブンで温めてもらったブリトーを齧るまで私の頭の中にはキチンと独立するタイプの言葉は表出していなかった。こんな風にまともに文を書いているのは本当に久しぶりなのである。

これから、トレーニングの為にもなるべく毎日書いていくことにしてみよう。

 


ところで「こんな風に誰もいない道で深夜にコンビニブリトーを齧っているときだけ、日々の鬱屈から解放されたような気がする」という太宰治が見たら現代の大人の文章力たるもののエモーショナルに踊らされた末の自己陶酔すらしきれていない根本的知性の拙さに嘆き暮れるであろう駄文が、私が久しぶりに発した心の声である。

 


これには訳があって、私はこの季節の夜の匂いが好きなのだ。座れる窓辺が部屋にあるならば一日中窓辺に座っていたいくらいに好きだ。だから人がいない道で少しマスクを外したことによってふわっと感じた季節の匂いによる開放感を、ほぼニート状態で視野が狭くなりつつある私は無意識に主語を大きくしてまるで日々が相応に鬱屈としているものであるかのように一人夜の道で演出してしまったのだろう。

 


そもそも「日々の鬱屈」とはなんなのか。私の日々はわりかし鬱屈としていないのだ。私はどうして生活のベースを憂鬱なものとして捉えてしまうのであろうか。この、生活は憂鬱なものであるという固定観念によって日々の煌めきは大きく欠損する。

 


たしかに私は今、求職中の身分であるが運良く貯金が少しだけあるがためにほんの少し遊んで暮らしても死にはしない。それに、今私が真面目に仕事を探そうと出来ているのはやっと精神面が整って未来に目を向けることが出来る様になったり、こうでないと人に否定される・馬鹿にされるという脅迫観念から解放されたことによる。今の私は今までの人生で一番前向きな局面にいるのだ。

週に2日は、それなりに長い付き合いになってきた恋人といろんな美味しいごはんを作ったり散歩をしたり、散歩ついでに私の趣味である銭湯通いに一緒に付き合ってもらったり、お腹いっぱいなくらいの幸せをまるで当たり前のように享受している。

残りの5日はたまに声をかけてもらって近所の友達と何人かで遊んだり、大学時代から仲のいい親友と遠距離ながらにも電話やゲームの配信で盛り上がったり、大学のサークルで同期だった友人たちや半年だけ通ったデザイン学校での友達とも未だにダラダラと喋ったり、就活のアドバイスを貰えたりして、こんな日々は幸せそのものである。

誰とも交流のない日でも、思いつきでアニメを流し見しながら数時間かけて靴を磨いてみたり、晴れた日に歩いたことのない駅を目指して散歩をしてみたり、よくやるのは安いカフェで絵を描きすすめたりポートフォリオ作りを少しでもと進めることである。がんばった日にはスーパーで酒を買って帰る。

私は酒を飲むときはつまみはそう多くいらないタイプだ。明太子とご飯があれば最高だ、あとはフライドポテトに塩と味の素をバサバサ振る、というパターンもある。

 


実りのある日々というには程遠いかもしれないがそれなりに人間らしく幸せな日々を送ることができているこの期間は、言うなれば鬱屈としたウンタラカンタラというよりは私の人生に突如舞い降りたほんの少しのご褒美ということが出来るだろう。

他にも色々あるだろうという人もいる前提で私は、人生を豊かにする四大要素は「友達・恋人・仕事・趣味」と思っている。普通だ、ど真ん中に普通だ。何も風変わりなことは求めていない。だからこそ普通が一つも手に入らない自分に長いことひどい欠損を感じて生きてきたのだが、何を隠そう今はこの4つのうち3つがほぼ満点という極めて珍しい状態なのである。

私の人生を遡るとまず幼少期にはこの4つのうちのすべてを持たない状態であった。

そこにはあらゆるものに対する「好き」の概念がほぼ存在しなかったのだから、まさに修羅の世界で生きてきたと言っても過言ではない。四面楚歌とはまさにこのことと言えるような長い青春時代を這いつくばって進み、18の春に大学に入ってからまず「友達」を獲得することができるようになった。

今まで自分のことを人格破綻者だと思い込んできたため、すんなりと他人と交流が出来るようになったことに異和さえ感じた。

それから、恋愛もしたが私の渇望してきたような愛情を得られることはなかったし趣味もやりたいこともなく年月を経てアル中化した。

過去の日記にもおそらく書いたかもしれないがアル中化した末にお金も無くなって深夜のマクドナルドで絵を描くのが癖になり、そこに救いを求めはじめたことにより「趣味」が生まれた。

「仕事」は少し特殊である。私は今まで数々のアルバイトをしてきたことがあり、その数々に挫折感とこの社会で私の生きることが許される席がまた減った事実に苦しめられてきたが、一度だけ働いていて本気で楽しいと思うことができた2年間がある。

それは昼に児童館で働きつつ夜に非行少女の施設で茶を飲みながら非行少女と喋ったりなんかをする仕事を掛け持ちでやっていたときで、そこには確かな充足感があった。

それを辞めて東京にきて2年が過ぎ、そのとき感じた充足感を見失って「私には社会で役立つ術などない」という思考に思い至ってしまいがちではあるが、たしかにそこには仕事として人に喜ばれ、満たされる眩しさが存在した。

恋人はそれよりも後で、きっとこの後にまだ日記を書き続けることができれば追々語っていくことになるだろうがまあ先に述べた様な安定した幸福を与えてくれる人というのは家庭環境に恵まれなかった私には、本当に、ずっとずっと欲しかった大切な家族のような存在であって、友達や仕事が出来たとき同様、当たり前に自身に優しさや親しみの情念が向けられることに眩しくて目がくらむようだ。

この日々があまりに眩しすぎて、しばらくの間言語化を出来なかったのかもしれない。影よりも光の方が長くしっかりと見つめるのは難しい。目が焼けてしまって二度と光を見ることが出来なくなるかもしれない。

 

そもそも私は、厚顔無恥な人間の半ば押し付けのように発した「それはちがうだろ」というよな説のそれはちがうだろ部分を延々ともやもや言語化して考えてしまうよくない性分があるがためにブリトーでくだらない詩めいたものを連想してしまったことに対する喝として「それは違うだろ」と内なら声が幸福について論じる機会を見つけてくれたのだろう。

そう思うときっかけを与えてくれたブリトーの一句には感謝である。


これらの、人生で間違いなく自分の力で獲得してきたキラキラと輝く生命のかけらを無視してまでも、エモーショナルだかなんだかと深夜のブリトーよりも鬱々としていることにしてしまった私の日々の反面である、普段目に入りやすい要素の話はまた明日書けたら書こうと思う。