アルコール鬱になりすぎて人にやさしくなった話

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どうしようもない話であるが私は無職がたたると、無職の酒飲みへと簡易に形態変化を遂げてしまう。

まるで働いているときはあまり飲んでいないという口ぶりであるが、事実働いているときは絵を描く時間が惜しいので酒は飲むと決めた日しか飲まない。もはや自分でも衝撃の事実である。

 

4.5年前は酔っていないと人と喋ってもまともなことを言えないと思って飲んでいたが今は誰と喋っているときの自分もそう変わらないので素面のときの自分の方が好きである。

昔は「人になるため」に飲んでいた酒は「脳を赤ちゃんにするため」という目的に変わった。

もっとも、「赤ちゃん」という時代が本当に状態的に快適であったかを私は疑問視しているため、私が目指しているのは「妄想上のアルコール赤ちゃん」に過ぎないだろう。

 

しばしばアルコール赤ちゃんになって失敗をする私であるが、昨年は特に酷かったので本当に人に多大な迷惑をかけ、あのアルコールが抜けていくときの二日酔い特有の自責の念も相まって何度か本気で練炭を焚こうと思案した。

 

それはそれで辛く悲しく、またどう考えても自業自得な思い出であるがついにたった一つだけ怪我の巧妙的なものを発見するに至ったのである。

私は18までの間「私が精神的に強い人間であるから」という言い訳のもと両親から厳しい折檻を受けてきたことによるコンプレックスで、自分が強いとされることが「自分という人間に興味を抱ける魅力がない」という意味に聴こえてしまうという非常に厄介な被害妄想を抱えている。この被害妄想故に「私なんかが弱い部分を見せたら今度こそ誰も自分なんかに興味を持たないに決まってる」という卑屈極まりない心の中の言葉で日々自分の首を絞めている。

 

その卑屈に歪んだレンズは他人にも作用し、弱さを上手に見せることの出来る人間や精神病を告白する人間を、まるで「弱さをふりかざす怪物」のように捉え勝手に自分の居場所が奪われていくように感じていた。

でもこれは、人の心の強度や状態が一律であることを前提にした自分の物差しでしか人を測る気のない判断だったのだ。

 

前述した通り二日酔いは身体だけじゃなく気分を根こそぎ持っていく。これは前日やらかしていてもやらかしていなくても同じである。

上がりきったテンションを回収するように精神は地の底まで落ちていき、願うならばこのまま動かない身体と下がり続け低いところで蠢き続ける精神を離脱させて楽にできないだろうか、と考えながら無駄に部屋で焚き続けている香の煙が上の方で広がって天井を背景に混ざり合っていくのをこんなに目で追えるものなのかというくらい目で追い続ける。

こんなときはもう、思考力もとんでもなく落ちてたりするので「銭湯に行く為にシャワーを浴びよう」という意味のわからない思考を6ループくらいしたりもしているものだ。

 

ふと私はこれがアルコールによる一過性のものであることがわかっているからやり過ごすことが出来るが、この状態がアルコールを飲まなくてもデフォルトな人間もきっとこの世の中には沢山いるのだということに気がついた。

過去に職場にいた人や昔友達だった人が頭をよぎる。もし私が、アルコールなんか飲まなくてもずっとこんな鬱屈として脳と身体のシンクロ率も下がっているような状態が生活の当たり前だったら何も出来てない。

これが毎日だったら自殺を考えるのもわかるし、必死で誰かに助けを求めることも仕方のないことである。現に私は、その状態になった人と対峙したときに自分がどう力になってあげることが出来るかという考えに正解を見出すことができない。

 

弱者の看板を掲げて強者たり得ようとしている、と勝手に認識の根底に刻み込んでしまっていた人は本当に地獄を見ている人間だったりして、弱者のフリをして人に共感してもらいたい、心配してもらいたいなどの旨味を得ようとしていたのは自分自身だったのではないかということが、とてもクリアに見えた気がした。

そしてこんなことを冷静に克明に書き起こせてしまう私は、やっぱりかなしいことに多分人より強くできている人間なのである。