悩みすぎて寺修行をしたときの話 -前編-

f:id:pirinzaraza:20200123091755j:imageそれは21歳の6月頃のことなのでおよそ今から4年半前のことである。
今このことを書きたくなったのはあの頃と状況が少し似ているからだろうか。


私は部屋でボンヤリとしていた。
前の年に後期分の単位が足りずに留年が確定した大学にはそもそもあまり興味がなく、大学を出た後に自分に出来る仕事やしたいことも特になかった。
何のために奨学金を借りてまで学校に行き毎日アルバイトをして生活費を捻出してまで通っていたのかは未だに私自身には説明できない。250万超の借金の使い道は私が望んだことではなく親が体裁の為に手に入れたい形に暴力的に捧げられてしまった。
250万円分のお金を稼ぐのに時給1000円弱のバイトは何時間やればいいのだろうか。

 


目の前にはただ膨大な時間があるのみで、脳みその中の感動や情緒の領域は幼い頃よりの日々の積み重ねにより死滅していた。
今考えるとあんなすべてが灰色に染まってしまうような認識の世界を何年も生きていたのはもはや人間じゃない、と思う。
しかし人間じゃない私はどうしても人間の感じるこの世の幸福を知ってみたかったらしく、何もない自分を誰かにどうしても肯定して欲しくて一丁前に人を好きになって当たり前に傷ついては自分の出来ないことをまた一つ積み上げたのだった。
仕事を選ぶ基準も「いかに自分が他者に傷つけられずに済むか」であったため、マイナス方向に感情の針が傾くことはあってもプラス方向に傾いてくれる条件は非常に限られていた。
こんな楽しいことのないままじゃ死ねないから、と必死に生きてみた結果自分という生き物が人並みになる為に出来ることの少なさが目の前に突きつけられたようだった。
自信のなさが空気に重みを与えて私を起き上がらせてくれない。

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もうこうなってしまっては本当に何をしても楽しくなかった。アルコールは今より沢山飲んでいたが楽しくなることすらなかった。目の前にあるアルコールにただ溺れることによって、ほんのいっとき自分から離れるためだけに飲んでいたようだ。記憶が飛んでいた方がありがたかった。アルコールを飲んで我を失ったまま、もしくは睡眠時に見る夢の中でそのまま死んでしまいたかった。
日常はそれなりに刺激的であったはずだが、それは文章に書くのには困らない類のエピソード的な刺激であって私自身が楽しいと感じていなければ何の意味もないことだった。

 


そんな日々の中で私はいつしか当時爆発的に流行っていたスピリチュアルサイトを巡回し始めた。「願えば叶う」というお手軽スピリチュアルのサイトを見ては安心しようとしていたのだ。
しかし生活にも困っているような状況なのに願いがそもそも好きな人を振り向かせたいくらいしかなかったのだ。私の本質は本当にただ他人に肯定して欲しいというそれだけだったらしい。
点と点が決して線にはならないような自己陶酔の文章の羅列にいつしか胡散臭さを感じ、辟易し始めた。
例えば「モテたい」と願ってモテたところで一時的な喜び以上に得られるものはあるだろうか、好みの見た目の人間と遊園地や水族館に行けたとしてそれは本当に幸せで満たされることなのだろうか?今の自分が無理矢理肯定されたとして、今の自分を肯定する人間がいて私はそこでまたスカスカな自分を突きつけられるだけで自分自身のことも相手のことも好きにはなれない。

 


それならば根本的解決を図るよりないだろう、先人達に倣うのだ…と思いついた私は突如寺修行に行くことを決意した。
調べてみたらまあまあ近い距離に3泊4日で1万円食事付きという、良心的かつ旅行感覚で行ける寺があったのを発見し、ホームページに載っていた寺修行の1日のスケジュールを見て「この堕落しきった生活リズムを修正するきっかけになるかもしれない」とも思った。
それにしても少し調べてみれば電車で20分ちょっとのところにそれ用の寺があるなんてさすが京都である。

 


行きはとにかく暑かった。電車で碁盤の目状の市内を出てしまうとトトロに出てくるような緑ばかりの風景で、少し移動するだけでこんなに違うものなのかとびっくりしたのを覚えている。
民家すらないような田舎感漂う駅で降りて何故突然修行前に美意識が働いたのかスムージーのようなものを飲みながら軽い山道を上がり、その寺に辿り着いた。
同じスケジュールで修行をする人は私の他に4人いて基本は彼らと行動が一緒になるらしかった。
私は寺修行なんてのは人生に行き詰まったどよんとした人しかこないものかと思っていたので横にいたツインテールの派手な婆さんが「あたくし食事はブイヨンが入ったものは食べれないんですの…」と語り始め、最終的に「あたくし脚が痛くなってしまうので坐禅は出来ませんの。椅子ご用意していただけます?」などと坊さんに注文をつけていたのには寺に来て早々衝撃を受けた。
まあ、婆さんはかなりの変わり種なので坊さんも衝撃を受けていたであろう。

 


荷物を持って部屋へ案内されたのだが、部屋は寺の奥に何個か洋風のコテージがあり、コテージの中には二段ベッドが二個と鏡台があったりしてキャンプ学習のようだった。
私は前日にやってきたというカナダ人の女子と相部屋だった。
寺修行と言っても昼過ぎは自由時間がたっぷりあって、図書用のコテージがあったり早起きの分の睡眠を埋めたり修行仲間とおしゃべりをしたり好きなように使ってよかった。
やがて夕刻頃より坐禅が始まった。脚を組み、お馴染みのポーズで15分×3セット程度だったか薄暗い部屋でお経を上げてただ呼吸に集中する。
お香の匂いと誰かの読み上げるお経の声と部屋の薄暗さが心地よく、工場でひたすらベルトコンベアに乗って流れてくる袋にシールを貼るバイトに比べたら1000倍くらいの安心を感じれた。
しかし煩悩の塊のような私は当時好きだった人のことばかりを考えていて1ミリたりとも無にもなれなければ呼吸に集中することもしていなかった。
ただ心地よさを感じながら好きな人のことを考えていただけである。
けれど久しぶりに楽しかった。
坐禅と食事までの休憩時間に同じ日に寺に来た年の近い男子二人と話してみたのだが、そちらは坐禅の体勢が兎に角きつかったのと目の前にいた菅田将暉似の少年が坐禅中におもむろに足の皮をめくって食べ始めたので非常に戸惑ったというようなことを言っていた。
寺修行にはどんよりとした人というより珍妙な人の方が集まるのだろうか。
二人も寺よりはその辺の居酒屋にいそうな爽やかな兄ちゃんだった。


夕食はかなり本格的な禅の修行であった。
4日間通して使うお椀三つと箸を持って整列し、順番に席に着く。
流れてくるおかずを自分の食べれる分だけ大、中、小のお椀に取り分ける。
全員で食事前のお経を唱えたあと、箸と食器のぶつかる音にも細心の注意を払いながら猛スピードで食べなくてはならない。誰も待ってはくれない。食事中は常に正座で無言である。
精進料理に味を求めてはいけない、ということを聞くが私がこの寺で食べた精進料理はどれも格別に美味しかった。普段ジャンクフードが大好きでファミチキばかり食べているのにこんなに美味しく野菜を食べれるものなのかと感激したほどであった。
中でも美味しかったのは朝に食べる粥であった。

白ごまを載せて付け合わせのかぼちゃを甘く煮たものと食べると絶品であった。

後にその粥は和尚さんが毎朝誰よりも早く起きて皆の分を作ってくれてるというお手製お粥だったと聞き心が温まったのを覚えている。
禅の修行らしく小さいお椀に一枚だけ沢庵を残しておき、白湯を少し注いで三つのお椀を沢庵で洗い、最後に湯と沢庵も胃に収めてしまうというのも楽しかった。


しかし、試練は目の前の席に存在していた。