悩みすぎて寺修行をしたときの話-後編-

f:id:pirinzaraza:20200123091911p:imageしかし、試練は目の前の席に存在していた。
私の目の前の席に座っていたおっさんは常に笑いを堪えているような顔をしていた。そして突如声を上げて笑い始めた。隣にいた坊さんが叱責をしても、その狂気のような笑いは止まらなかった。
目の前のおっさんの狂気に目を奪われていた私は久しぶりにした正座で足が痺れ切っていることに気づかず、食事を終えて退場するときに盛大にへなへなと床に崩れ落ちてしまった。生まれたての子鹿っていう表現はこういう状態を表すのだろうな、と思った。
私はおっさんの狂気に戦々恐々と自分のせいな可能性を探っていたが次の日の坐禅時におっさんの笑い声が再び上がり、それに反応した足の皮を食べる菅田将暉も笑いながらウォウウォウと何か言い始めた挙句坊さんに連れられてどこかへ消えたのでどうやら私のせいではないらしい。
おそらく静かな空気で笑ってしまうタイプの人なのだろう。
菅田将暉似の少年に関してはイケメンなばかりに残念なかぎりである。
そうした惨状を傍目に、あの派手なツインテールの婆さんは部屋の角に用意された椅子に座りながらニコニコと揺れていた。
婆さんの周りにだけ花が咲いていた。

 


寺には年齢性別出身地かなり入り混じった人達が修行しに来ていたが、イケメンが多かったのも意外だった。おそらく高校生で長期修行をさせられているという茶髪の青年もクローズという映画に出てきそうなイケメンだったしめちゃくちゃ真面目に頭も刈り込んで修行しに来ている模範坊主のような青年も海老蔵のような美青年だった。


一人だけ私と年の変わらない女の子で頭を刈り込んで坊さんとして修行をしている身だという子もいた。その子とは仲良くなってデビ夫人(ツインテールの婆さん)の部屋で3人で休憩時間に過去のことなどを話したりした。

数ヶ月前に思い切って頭全部刈ってスマホも解約してここにきたんだ、と話す彼女の決断力にパンクロックを感じて憧れた。
その子には寺から帰ってきて一度手紙を送ったが、返ってくることはなかった。元気にしているだろうか。
そういや初日にドン引きしたにも関わらず、私はなんやかんやデビ夫人の明るさと朗らかさが大好きになってしまい、彼女とも修行中よく話をしたのだ。
最後の日、もう数日残るというデビ夫人より先に帰る私に、彼女は煩悩の塊みたいな大きな荷物の中から良い香りのする小さな経典を取り出して渡してくれた。今も大切に取ってある。


夕食後は順番にお風呂に入ったあと茶菓子を食べながら談話をする時間もあり、それを終えると就寝時間は21時とかなり早かった。
私はかなりの夜型であるので、一度だけコテージをこっそり抜け出して近辺を散歩した。田舎故にふんわりと光っている蛍を何匹か見つけながら見晴らしのいい場所に出ると、遠くに見える京都市内の光と真っ暗な空にきらきらと光る星たちが広がっていた。
あぁ、いい場所だなと思った。夜景は隣にいる誰かにアピールするロマンスの為の舞台装置なんかじゃなくて、ただ「綺麗」でただ今そこにある光だった。

 


翌朝、就寝後に電話をしながら歩いていたという青年が強制的に寺から退場させられているのを目の当たりにしてひやっとしたのはいうまでもない。
坐禅中の問題児二人は坊さんに少々叱られていた程度で、修行を辞めるという程のことにはなっていなかったが修行を途中で辞めてしまう人はちょくちょくいるらしかった。
デビ夫人と同室にいたおばさんも、ある朝突然姿を消してしまったらしく騒然となっていた。
修行が辛かったのかデビ夫人との生活が合わなかったのかは絶妙に判断し難いところである。

 


朝は5時に起きて太陽拳をしたあとに読経をし、掃除をしてやっと7時半頃に朝食であった。
朝は意外にも眠気より空腹の方が辛く、7時半という時間を「遅い」と感じていたのは人生で後にも先にもこの時期しかないんじゃないかと思う。
朝食で件の和尚お手製の粥に舌鼓を打ったあとはお務めがある。農作業や昼ごはんの準備である。
昼と夜は近所のおばあちゃんが作りに来てくれていて、二日目のお務めのときにやはり私のような吸血鬼生活を送っていた人間が農作業で日光の下汗をかくのは辛すぎると深く思い至ったため3日目はおばあちゃんと室内でのんびりおしゃべりしながら食事を作った。
おばあちゃんは亭主とはお見合い結婚で知り合ったから恋愛もクソもないけど愛情は育てるもんよォというようなことを言っていた。刺激なんてなくても毎日こうやってここに来たり誰かのために何かをしたりしてると楽しいんだよ、というようなことも言っていた。
その時はどっちもあまりピンとこなかったが、今になって長く生きてきた人間の言葉は流石だなあとしみじみと思う。
状況に縛られがちな私は寺の厨房で真昼間から料理の支度をしながらアル中の女が婆さんの人生観を聞いているというドラマティックな形式の方に酔っていた。いかにもしょうもない。


私はこの寺修行の間、ほとんど自発的な行動をしていない。スケジュールに合わせて淡々とそこにいただけだ。今までの人生ではスケジュールに合わせることが苦痛で仕方なかった。「今」という空間に対し、過ぎ去って欲しいというピリピリとしたいたたまれなさばかりを感じていた。時間は過ぎ去ってくれれば過ぎ去ってくれるほど有り難いものだった。お寺にいる間は時間を消費しなくてはいけないものと捉えなくてもよかった。何もしなくても何も面白くなくても自分がここにいてもいいと思えたのは初めてだったかもしれない。


あっという間に3泊4日の旅は終了し、同じ日にきたデビ夫人以外のメンバーは皆最後に写経をして終わったものから部屋を出た。
私は一番遅く、なかなか手こずりながら写経を終えて部屋を出て寺の鳥居をくぐると、目の前に車が現れた。
「よ!待ってたよ!精進料理しか食べれなかったから回転寿司でもよって帰ろうぜ!」と同スケジュールで行動をしていた男子二人が窓から顔を出して言った。
一人で登った山を帰りは車でみんなと降りれるなんて思ってもなかった。
3人で寺修行の苦労を労いながらライングループを作って「一年後に飲み会でもしてお互いがどうなってるか報告しよう」なんて言って別れた。

 


それから一年後、ふと思い立って「みんなどうしてる?」と連絡してみた。
寺にいるとき二人のうちの一人は世界の国々を渡り歩いていたが挫折してしまって自分がどうしたいのかを考え直すために寺に来たがやっぱり前向きに旅を続けたい、と目を輝かせていたのでまた海外に戻ったのか聞きたかった。
「やっぱりあれからずっと国内にいるんだ」とだけ返事がきた。
飲み会は開かれなかった。

 

私はあれから4年半の間に自分を好きでいてもいい理由を見つけて、この世界に好きを少しずつ見つけれるようになった。

皆明るく振舞っていても寺に理由なくくる人間なんていない。

あのときそれぞれの思いがあって、偶然に寺で出会った彼らは今どんな風に生きているのだろうか。

またどこかで逢えたらいいなと思ってしまうのは私の若さゆえの傲慢な憐憫だろうか。