ゴミ拾いをしていた時の話

ゴミ拾いをしていた時の話

ちょうど2年前のこの時期、私は今と同じように無を彷徨っていた。
ジョンレノンが「仕事は人生だ」と言っているが的を射ていると思う。
私は仕事がないときに虚無に立たされるのだ。
時間の使い方がわからなくなる。
そのときは今より絶望的な状況だった。
卒業直前に大学を留年することがわかり大学に通う金銭的余裕もなかった為、とりあえず休学を選択してから一年が経過していた。
相変わらずお金は貯まらないどころか働くのもやめてしまった。
家賃を滞納しているし今日食べるお金にも困るというのはこういうことかと思った。
残ったのはアルコール漬けの身体と人前でしか存在しないヘラヘラした自分だった。
もうこれは緩やかな死を待つしかないのだと自分の無力さを呪いながら天井の模様を眺めていた。
きっとこの部屋は世界から取り残されてる。
隣に住んでるらしき中年男性が深夜に唱える読経は私を楽にしてはくれない。
もしや隣に住んでいるという設定でドアの外か何かに取り付けられた「今日の読経」というタイトルの音声だったとしてもおかしくない。
この世にはっきり言えることなど存在しないのだ。
休学時期前半に私は絵を描き始めた。最初は自転車でそこら中を走り回っていただけだった。
どこかに行きたいのにどこにも行けないことが苦しくて苦しくて仕方なかった。
それくらい京都の碁盤の目は理路整然と鎮座していて、何年も住んでいると脇道に逸れてもどこに何があるのか大体わかってしまうのだ。
碁盤の目はハコニワだった。そこだけで全てが成り立つ。
自転車で深夜に出かけるだけじゃその街から出ることは出来ない。山を越えなければならない。
私のような無法者のくせに勇気もない、死ぬ覚悟も本当はないような人間は街を出る手段を持っていなかったのだ。
いつもなぜかブルーハーツを聴きながら爆走していた。
「歩く花」が好きだった。
嵐山に行ったり鞍馬山に行ったり伏見稲荷に行ってそこで
朝が来るのを待った。たまに友人が一緒に来ることもあった。
毎日続けるとさすがに飽きてしまい、余計にどこにも行けない息苦しさを突きつけられるようになったのであるとき自転車で京都の街を走り回るのをやめた。
深夜のマクドナルドでホームレス達の睡眠を邪魔することのないよう静かに泣きながら、書くことのない日記を書くのが日課になった。それから段々とそれがもどかしくなって、言葉でイメージ出来たものに形を与えるようになった。
それは単に純粋だったり崇高だったりとされるイメージではなくて、唯一自分が肯定される世界を自分に、紙の中で与えるという作業だった。
私に生きていて欲しかったそれだけの気持ちが今の私を作っている。
だから私はどんなに馬鹿にされてもあのとき紙に描いた私を体現しないといけないんだ。
それからコールセンターで働いたりその頃出会った友人達にギターを教えてもらったりよく行っていたバーでイベントを組んだり出来るようになって、一時的にそんな日々があったことも忘れた。
絵は自分のアイデンティティの為だけに描いた。
あるときコールセンターのバイトを辞めてしまった。一年持たなかった。結局大学卒業の資金すら貯めることは出来ないまま辞めてしまい、残ったのは「自分はクズなんだ」という自覚と共に失った働くことに関する自信と、やはりアルコール漬けの身体とさらに肥大化した人前にのみ存在する自己像なのか他己像なのかも分かり難い自分だった。
これが休学時期後半の始まりだ。
こうして序盤の状態に戻るわけだが、あるとき私は「せめてこうして死を待つならいいことでもしよう」と思った。
同時に、私がこんなにも孤独で所在がないのは「だれの役にも立っていないからだ」と考え至った。
ユング集合的無意識に自分なりに勝手に解釈を加えたりするのが好きだったので「人間は水面下では繋がってるのに誰しも利益をもたらしてないから私は不幸なのだ」とスピリチュアルに片足突っ込んだ思考のもとゴミ拾いを決行した。
人に見られるのは恥ずかしいので、決まって深夜24時以降七条から五条にかけての市街地の道をゴミ袋片手に音楽を聴きながらウロウロとしてゴミ袋がパンパンになるとどこかのダストボックスに放り込んで鴨川で朝が来るのを見守った。
そのときに何を聴いていたのかは思い出せない。
深夜のゴミ拾いには意外な効果があった。家に帰ってきたときにちゃんと眠れるのだ。
昼夜は逆転していたが、それでも寝れることが嬉しかった。
意味のない日々が続くと睡眠時夢の中にいる自分の方が情報量が詰まっていて楽しいのだ。
身体を満足に動かしていないから眠れなかったのだろうと思い至り、それから良い睡眠を取るためにも毎日ゴミ拾いを始めた。無論状況は変わらなかった。
ゴミ拾いを始めて数日経った頃、朝鴨川で日が昇るのを見ていたら自分が許せるような気がした。
誰にも見られていないところでほんの少しずついいことをすることで着実に自分を取り戻していくような感覚を得た。
人前にしか存在しない自分じゃない自分は、一人でゴミを拾っているのに誰かと心が繋がっているような気がした。
「今の私は私が思い描いた自分でもなければ誰かに笑われる自分でもない。世界を形作るやさしさのひとつとして機能して、だからこそ私は今、形として『どうすれば人に認めてもらえるか』『どうすれば美しくあれるか』といった非常に現実的な小さな悩み事を抱えた自分から開放されている」と感じた。
内側が満ちていく感覚といえばカッコつけかもしれないがゴミを拾い集めているときは妙に安心した。
その安心感も二週間くらい続けるとやたらと警官に遭遇し「お疲れ様です!お気をつけて」などと言われるようになってしまったのでやめた。
あまりスピリチュアル的なことに絡めるのは良くないと思うがそれから縁があって児童館の仕事や私と似たような境遇(両親に虐待を受けていたり帰る家がない状態)の少女達を支援する施設での仕事が決まって、その二つの職場で2年間勤めた。
元来適当な人間なので使命感など持って働いていたわけではなかったがその、東京に来るまでの2年間は私にとって一番満ち足りた日々だった。
人を愛せないと思っていた自分が、小学生の子ども達を本気で愛おしいと思えた。
誰の為にもならないと思っていた自分に相談して笑ってくれる少女達がいた。
それを捨ててでも東京に来た自分がまたこんな風に一日を棒に振ってることがいたたまれない。
どの面下げて「離れるのは嫌だけど先生が決めた道だもんね。先生がブランドのお店出したら行くよ、がんばってね」なんて手紙を書いてくれた小学2年生の女の子の前に出れるだろう。
また今夜でも、ゴミ拾いをしに外に出て見たら新しい自分に出会えるだろうか。