血迷って3ヶ月間ラジオのパーソナリティをやったときの話

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当然私は別段話術に長けているわけではない。むしろ、会話においては私の酒乱の原因の一つに人と何を話していいかわからない為にとりあえずアルコールで誤魔化したくなってしまうという最悪すぎる理由があるくらいだ。
そんな私に23才の春ごろ、「無償だけど毎週30分地方のラジオのパーソナリティやってみない?」という話がきた。それは当時始めたちょっと変わったバイト先で頼まれた話で、そのバイト先とはネット限定のとある趣味に関する番組を作る会社のADのような仕事であった。
怪しいマンションの一室を事務所として使っていたその部屋では社長と社員一人で仕事を回していて、たまに私のようなアルバイトの女の子がきたりもしていたようだった。


そこでしていた仕事は、主にロケの日に長崎やら福岡やら神戸やら高知…と遠方へついていっては申し訳程度に三脚などをたまにもたされ、出演者とかと喋ったりお小遣いを渡されてお弁当を買って来たり出演者と社長と酒を飲んだり船に乗ってみたり番組に必要な絵を撮るのを眺めていた。三脚をたまに申し訳程度に持たされたりする以外の仕事は殆ど無かったので、私がいなくてもどう考えても仕事は成り立っていた。
私が思うにアレは表向きはADだったが、撮影などで長距離運転をする社長が寂しさを紛らわずためにスピリチュアル話を延々聞いてもらうための話し相手としての仕事だったように思う。
前にもこのブログで私のしてきた変なバイト達を紹介する記事で書いたが、京都にはスピリチュアル話をするおじさんおばさんがやたらと多いと私は思っている。
昼間のカフェにいても東京より沢山胡散臭いネットビジネスの話やらスピ系思想の話が横行している。他力本願思想が根深いのだろうか。


社長も例に漏れずスピリチュアル話が大好きで、全然関係ない話をしていてもなぜかスピリチュアル系の話になってしまう。それも別に石とか壺とかを買わせようとしてる感じではないのである。例えば「この国には表向きの政府を牛耳っている裏の組織がある…」などのフリーメーソンかな?といった感じの話を延々と繰り広げてくるのである。
スピリチュアル系の話をする人はその話をすることで一体心のどこが満たされるのだろうか?
フリーメーソンだか宇宙人だか地底人だか知らないけどいるかいないかについてそんなに重要視したことはない。
しかし「えぇ!!スゴイ!!マジですか…」を乱用しがちな私の相槌は社長のスピ話に拍車をかけ社長の口調を恍惚とさせ、どっから湧いてきたんだか今度はチャクラがどうたらこうたらという話をし始めるのであった…車内はいつもよくそんなに尽きないものだという胡散臭い話で満ちていた。
私は胡散臭い話も案外実は嫌いではない。胡散臭い話の、点と点がどこで繋がって線になるのかが気になって何やかんや面白くて「あれ?もしかして日常で私が不思議に思っていたこれって…?」などといって会話にガソリンをガンガンに注いでは社長のスピ談をよく燃やしていた。
よく考えたら私もスピリチュアルに片足を突っ込みかけていた。


これはいつもの余談で私の個人的な拘りだが、その人の中で一応点と点が線として繋がっている話はどんなに変でも面白く感じたり興味を持てたりする。一方で自分をよく見せようとするというのが会話の目的に来てしまうばかりに点と点をきちんと結ぶ気などさらさらなく一貫性のないコロコロと立場の変わる御都合主義のような話は二度と聴きたくない。人間一週目だと思っている。


そんなバイト先で社長に「空き枠あるんだけどラジオやってみない?」と言われ、暇だったのでノリでやってみたのがその3ヶ月間であった。
当時はピリンザラザという名前もなかったので今多分私の本名を検索しても普通に出てきてしまう可能性があるまあまあハイレベルな黒歴史である。
まあ流石に音源は残っていないだろう。
それはそのマンションの一室の中にある小さな録音スタジオで行われた。
ラジオを録るときは社長ではなくたった一人の社員が担当していた。
社員は100人いたら50人くらいはいそうな小さい小太りの眼鏡で、最近オタク系婚活によって結婚をしたという。彼の机やDJブースには「女のオトし方」のようなタイトルの本が散見された。


ラジオで何を話していいかわからなかった私は、その当時好きだった12個上の男の人が二人きりの時はぬいぐるみでワントーン高い声で話しかけてきたりレディーガガの香を焚いたりしていた話だとかでも全然何考えてるかわかんないし気がついたら自分が話したいことなんて何も話せなくてある日素直になりたくてその人の家に行く前に馬鹿みたいに酒を飲んでから行ったらフラれた話とかをした。
他には大学時代の女友達の何人かがメンヘラビッチになってしまったり、女の子の「いわゆる彼氏の愚痴」を深夜に電話がかかって来ようと突然泣きだそうと辛抱強く「そうだね!相手が悪い!」と相槌を打っていたら大体女の子に「私の彼氏の何が悪いのよ!!」と怒られ連絡が取れなくなる現象などについて憤りを込めながら喋ったりなどもしていた。
当時はそういった世界が私の中心だったんだな、と思うと今から考えるとなんだかちょっと面白い。


今思うと週末の夕方に車の中などでちょっと緊張しているのが丸出しの素人の浮ついた声で語られるヘビーな恋愛談なんて聴かされていたとある地方の人たちがあまりに不憫である。
3ヶ月で終わったのも納得だ。
流石に30分をフリートークで消化するのは素人には心もとないので、妙に生々しいフリートークは最後の5分とか10分だけで、他は件の社員と相談しながら来ていない質問を自分で考えて自分で答えたり好きな本や曲を紹介したりなどした。


当時くらいまでは本当に自信がなく、周りによくナメられたことを言われていた。
最近結婚したというオタクの社員にも当たり前のように「オタクっぽい」とか「なんか別にセクハラじゃないんだけど誰にでもオトせそうに見えるんだよね〜」とか言われたものだ。どの口が言うか、と思いながらそれを受け入れてしまっている自分がいた。
その当時はまだ他人が言うことが自己評価の全てだった。

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当時聴いた自分のラジオは、あまりにも自分の声や喋り方が気持ち悪くて受け入れられなかった。
2回くらい聴いてそれ以降はオンエアは聴くのをやめた。
恥ずかしくてほとんど誰にも『私ラジオで喋ってるで』とは教えられなかった。

今年の正月くらいに、あまりにも暇だったので深夜外を酒を飲みながらただただスマホのカメラに向かって喋ってみた。一人ユーチューバーごっこである。
当時のノリでおっかなびっくりその自分が喋ってる映像を見て聴いてみた。が、全然嫌じゃなかった。
私がなんらかの変化で喋り方が良くなったのか自分を許せるようになったのかは謎であるが全く気持ち悪くなかった。
興に乗った私は1時間半もベラベラと喋っていた。それはまあ寂しさとアルコールのなせる技だったり、誰も見ていないからこそ成立するものでもある。

 

当時のあの、人に聴かれているからといって気を張ってしまってかえって成り切れずに恥ずかしさが前面に出てしまう現象について考えた。

捨てるものなど何もない人間が恥ずかしがる必要などどこにあるか。

 


あれが今の私だっらあのチャンスをどう活かすのだろうか、友達やファンや職場の人には『私喋ってるよ』と言えるだろうかと考えていたら、また来てもいない手紙を読みあげる自分を想像して笑ってしまった。
恥ずかしくない自分なんてどこにいるんだ、このブログだって更新ボタンを押してしまった時点で「恥ずかしい」に分類される可能性を持つんだ。