アルコールを飲みすぎてしまうことに関しての考察 6/10


失敗したことしか書いてないのでアル中だと思われても仕方がないかもしれないが勿論毎日飲んでいるわけでは無い。
大体週に2〜3程度、普通の頻度である。
飲み過ぎて失敗するのは不安要素を抱えているときに多い。
最近私の中でポピュラーなのは無職であることと他者の悪意をまともに浴びてしまったとき、自分の中に彼らと同じ欲望を見てしまったときである。


自分の尊厳を守るためにそれを壊しかねない人間に線を引いてしまうのはどれだけ悪い癖だと思ってもついやってしまう。
目の前にわかりやすく線が引かれれば「なにしてくれてんねん!」と無理矢理飛び越えて罵倒したくなるのもわかるものだ。私だってそうする。


そういった日常で拾ってきてしまった材料たちと酒を飲んでいる自分に酔いたい気持ちと、
意外にも大きいのはわりかしそわそわと落ち着きのない性格のため目の前に飲み物が置かれると無限に手がテーブルと口を行き来する為の道具として動き始めてしまうことだ。
無限ループに入らないようにするには理性が飛ぶ一歩前に気づくしかない。
大体これが失敗しない為の肝である。
逆に言えば理性が飛んだ場合に私がしている極端に変わった行動はテーブルと口間の無限ループくらいなものとも言える。
無限ループをしていると言ってもそんなに強いわけでもないことをここには書いておこう。
もうそれに突入したら次の日は二日酔い確定なのだ。


こんなふうに書いたがおそらく根本的な理由は手癖でもその時の状況でもない。
この様に文章を打ち込んでいるとき、私は文章を打ち込む為に言葉を組み立てているわけではない。
喋るのと同じくらいの速度で言葉は勝手に組み立っていく。
いくつになった頃からかはわからないが、非常に孤独で小説ばかりを読んでいた中学時代辺りにはもう頭の中でなんの役にも立たない文章が常時大量生産されるようになっていた。
普通の人でも頭の中にエピローグのようなものはあるだろうが、私の場合はなにか違う気がする。感覚的でない。常にトピックを設けてバッティングセンターのようなスピード感で誰かに何かを説明しているのだ。
ロマンチックにいえばどうしても誰かに理解してほしくて伝えたいという気持ちが、この独りよがりの文章の羅列を頭の中に作り出してしまっているのかもしれない。
これが私がアルコールをつい飲みすぎる最大の理由である。
私はなんの役にも立たないこの「文章紡ぎ出し能力」のようなものを愛している一方でハチャメチャにこれに疲れさせられているのである。
テーブルと口間の無限ループ機能を使う段階までいってしまえばおそらくその場では何かを喋っているのだろうが言語機能は小学生レベルまで低下し、感覚的なことしか喋らなくなる。
たまにこの状態を自分に作り出さないといけないような気がして、失敗する飲み方をしてしまうのだ。
つべこべ言わずに瞑想でもしときなさい、という話である。