週末マジック

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 土日が来たらヨドバシでヘッドフォンを買い換えて文章まとめてブログにして引っ越しの準備を進めて…カフェで一日ゆっくり絵だとか文章を描きながら過ごして出来るなら溜まっていたデザインを服に出来るように加工しよう、あ、さくらももこのエッセイも読み進めよう…なんて毎週金曜ごろまでは夢見ているし何故か毎回全部出来ると思っているのに
目が覚めれば昼の12時を過ぎていて
それでもまだ寝ていたいような気がして再び気がつけば夕方。やったことといえば散らかった部屋の寝床でお菓子をバクバクと食べることとまた1分で忘れるような作り話かもわからないどこかの家庭の嫁姑問題の記事ばかりを追ってしまうこと。
しかしこれがやめられない。絵を描くよりも辞められない。常々私は絵を描くのが辞められないからきっと絵を描く才能がるのだと自分に言い聞かせているがなんの足しにもならないネット記事を読み続けることの方が辞められないのでそちらの才能の方があるのかもしれない。
何の足しにもならないネット記事を読み進める才能というのはいったい何の役に立つのだろうか。
そうして1月も末の暖房もない部屋で毛布にくるまってホットカーペットと一体化している、ミノムシのようなそれが悲しくも私である。「まだちょっと寝れる」という感覚はこの世で感じられる快楽のうち最も手に入りやすく、最も心地よいものでもあるということは言うまでもない。
しかし快楽は摂りすぎると心の毒になるようで、目覚めたミノムシの私はたかだか半日程度のことなのに「私はずっとずっとずっとここにいるんだ。何も始まらなければ終わりもない狭い部屋に閉じ込められたミノムシなのだ」と錯覚してしまう。
フランツカフカの変身は一読しておくべきである。
なにしろ私は自分がずっとミノムシだったことに気づいてしまったのでこの半日を失った分これからの人生もずっとひどく平坦で薄く、このようなミノムシのような存在のまま終わってしまうのではないかと妄想してしまう。
人と比べることはやめたはずだ。いいとされる価値観が私にとっても良かったり私の求めるものであるという保証などはないのだから。
しかし、その思いを裏切るかのように私の脳内では土曜の夕方17時、結婚している友人であれば少し凝った夕飯を作ったりなどして休日を緩やかに、見えない安定感と共に過ごしているのだろうという非常に押し付けがましい映像が頭の中に映し出され、涙が出そうになった。無論朝早く起きてカフェなどで充実した時間を過ごした後に17時くらいから一人で自分だけの為にシチューでも煮込むのも、出来るのだとしたら豊かではあるはずだ。
 大体私は何もかもが年相応ではない。異常な低身長から始まり恋愛経験の少なさ、そして会社で一回も働いたこともなくフラフラとしていること。服装や髪型も派手で安っぽいモノが大好きなのだ。普通のレースがついたような服を着るのはどうにも気がひける。よく社会に出たことのない人間は顔が幼いというが私もそれが顕著に現れている。
こういうときばかり、「もうちょっと年相応になれよ、私…」といつも思ってしまう。
いやしかし、年相応とはなんだろうか。年相応で得をすることなんて伊勢丹高島屋なんかになんの気兼ねもなくスッと入っていけることくらいでないか。
無理にエレガントにならなくてもいい。だから、そろそろミノムシだけやめてポップな自分好きの私に戻ればそれで良いのだ。
心配なんかしなくてもお前の人生の濃密度は今までもこれからもきっとこのブログを書き続けるのに困らない程度には深いはずだ。そういうふうには生きてるじゃないか。