3時に起きたから

仕事で夜中に家に帰り酒を飲み爆睡し、昼に起きたが食事をとるとまた眠り夕方に起き、夜も21時に寝てしまったので夜中の3時についに目が覚め頭が冴え渡っているという悲しい現状である。

それでも起きている数時間の間に3000円の自転車をネットで発掘し、下見に行き明日取りに行く確約を結んだので良しとしよう。
知らない駅に降り立ち、帰りにサイゼリヤのハンバーグを一人で食べ、アルコールも飲まずまっすぐ家に帰り、家に帰りついた瞬間のバケツをひっくり返したような大雨も満足ポイントが高い。
私は外に出なくて良いときの大雨が大好きなのだ。
それに雨より早く家に到達した運の良さも褒められたものだ。

こういう日記を書くときは忙しくないときや日常に満足できていないときが多い。
今の私でいえば単純にQOLが低いことが言えるだろう。

個展も無事に終わり、通っていた仕事も昨日でひと段落がつき次は10日後に始まるグループ展と新しい大きな依頼に従事していきたい。時間もできたのでCGもゴリゴリ覚えていきたい。
なんなら来年の4月に大阪でやる個展に向けて新しいことをやったりどんどん作品も作っていきたい。

そういう未来の約束がしっかりあり、意気込みもあり、それに費やせる時間もある贅沢な状態であるものの少し前から私がやっていることといえば
物が溢れた部屋の中でただひたすらインスタやブログなどに転がっているエッセイ漫画を読み漁り、無料で漫画を読めるアプリを駆使してiPhoneiPadの2台使いで特別で大切なはずの有り余る時間を無料で漫画を見るためにCM動画を見る時間に費やしている事態である。

そのくせにせっかく入っているAmazon primeは放置し、今話題の台湾映画「呪詛」を観てみたいからとNetflixの再加入も考案中のダメなニートみたいな生活だ。とにかく漫画を読み漁るしかやっていない。

「縦」になれないのだ。
ときどき縦になれない時期というのがやってくる。起き上がって机についてもなんとなくしんどくてベッドに移動し「横」になる。
頭の中にひたすらできるだけどうでもいい情報を注入し続け、疲れたら眠りにつく。
現実逃避の権化みたいだ。

さて、そんな生活を送っているうえにもともととんでもなく狭い部屋に住んでいる。部屋は寝る場所以外物で溢れかえっている。

1週間ほど前、夜中に近所のドンキに訪れてみた際に500円でアロマディフューザーを購入した。
私は水道橋にあるラクーアというゴージャスなスパが大好きで、あそこは常にアロマなのかなんなのか誰も嫌いな人はいないだろうというステキな匂いで充満している。

私は「あのラクーアの匂いが500円で常におうちで体験できる?!それって、なんかめっちゃ『憧れの女子生活』じゃん。ヨガとかやっちゃうかも?!」なんてウキウキワクワクしながら購入した。
使ったのは当日だけだった。
威力が弱く、真横にいないと匂いを感じられないのと思った以上に香りがチャチかったからだ。

ゴージャスなスパの匂いを甘くみてはいけない。

こうして私の憧れの女子生活妄想は一瞬で廃れ、ゴミが一つ増えた。


長くなるのもなんだが、今書かないと忘れてしまいそうなので続きを書いていこう。

私のお正月にだけ会っていた父方の祖父は、物心つく頃には常に孤独であった。
緑の砂壁の部屋でいつも一人テレビを観ていた。あまり言葉数も多くなく、元々出不精であったものの途中で足を悪くしさらに出かけなくなってしまったらしい。周りとの付き合いもほとんどなかったんじゃないだろうか。

もう亡くなってしまったが、最期の方は施設の小さな部屋でベッドに横たわりそこからテレビを眺めていた。

私は若かった頃の祖父を知らないしどんな人生だったのかをそこまではっきりとは知らない。少なくとも息子が二人もいてこうして孫の私がいるということは昔は一人でテレビを眺めるだけの生活ではなかったはずだ。

しかし私は、大人になってから自分が「縦になれない」状態になる度に祖父のあの姿を思い出してしまい哀しくなる。
あんな風に何十年もただ命の最期を迎えるのを待つようなのは私には耐えられない、と高校生の時に思ったはずなのだが
私もテレビがスマホに変わっただけで同じようなことをしているような気がする。

なんなら、祖父は持ち家も持っていたし結婚もしていたんだから私の方が若くしてこんなじゃ人生の濃度があまりにも薄すぎる。

そんな人生の濃度が薄いことが悩みで部屋の片付けも満足に出来ないで寝転がったままの私が唯一できることは、少々ざっくりであるがやはり「作る」ことなのだと思う。

もしあの無口で孤独な祖父が絵を描いていたり物作りをしている人だったら、私が祖父に持った「ただ死を待っている」という印象は違ったものになっていたのではないかと思う。


死を待ちたくないのなら、やはり作るのをやめないしかないのだ。

私の何十年後かに訪れる死がどんな状態かは、正直想像すらしたくないがもし何もない本当に限界孤独老人になってしまっていたとしても最後まで自分が自分である意味を見出したいf:id:pirinzaraza:20220713051124p:image