②同じ状況にいる妹を救いたいという幻想による落とし穴

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さて、妹のことを書こうと思う。この話は後半私自身の性に対する倒錯と大きく関係してくるが、その前に一度区切りたいので今回は大人になってからの妹との関係性にのみ焦点を絞る。
今思えば「いいお姉ちゃん顔をしてみたい」「なんだかんだちゃんとした大人で頼りになるところを間接的に家族に見せつけたい」という劣等感からくる世話焼き心が根底にはあったが京都時代私は妹の誕生日には毎年少し無理して高めのブランドもののプレゼントを送っていた。
妹から両親の軟禁が辛いというメールが来るたび「辛かったら電車賃出すからいつでも京都へ逃げていいんだよ」と即座に返した。
当時私はちょうど妹と同年代の非行少女や関係がうまくいかず家族と離れて暮らさざるを得ない女の子達が集団生活を行う施設の寮母のようなバイトをしていたため、知識のあるおばちゃん等に相談をしてみたり親元を離れてでも進学出来る方法を調べて伝えたりもした。
あくまで強制はせず、死にたいくらいに辛かったり洗脳で視野が狭まってしまっているのであればもっと外の世界や違う生き方があるから逃げることは出来るということを知って救いの一歩になればいいと思っていた。

 


2年半前に私が上京したとき、妹は国立医学部を目指して2浪目であった。両親は私をエリートにして自慢する路線を諦め、優秀な妹を医学部に入れようと躍起になっていたが彼女は一浪をしてもどこの大学の試験にも引っかかることが出来なかったらしく両親が私に一浪を許さなかったときに宣った「女の子は浪人したら終わりだから絶対にさせない」というあの発言はなんだったのか、医学部に行くという高尚な目標があるから良しとしているのかはわからないが2浪目に突入した次第である。本人の自由だがもうこうなってくると大学受験という行為は両親にとっては負けの込んだギャンブルみたいじゃないか、と思った。
そんな二浪目に入ったばかりの妹にいいお姉ちゃん面をしたかった私は丸一日会えるという日にせっかくならとディズニーに連れていった。チケットも食事も私が持った。
たまには気晴らしできたらと思って…という私に妹は感謝の面持ちであったがパーク内を歩く内に「もし知り合いに見られたら恥ずかしい」とこぼしたのだ。「お姉ちゃんのようにはなるなって言われてるんだ」とももらした。
単純に一緒に歩くのが恥ずかしい風貌だったのだろうか。20にまでなって姉と出歩くことが恥ずかしい思春期じみた感性を持っているのか。そもそも私と来たくなかったのなら断ればいいのに、と思ってしまったが心にしまって夜まで酒や食事を沢山ご馳走して帰った。
帰り道でああこれはパパ活みたいなやつなんだな、黙ってチケットを2枚渡されたら嬉しいけど、一緒に行こうと言われるのはありがた迷惑な話だったのだと合点がいった。
それから一週間も立たない内に親に軟禁されていて自由のないはずの妹が同級生と立て続けにディズニーランドやシーに行っていることが繋がっていたSNS上で観測された。

 


ある時、妹から助けてという連絡が入った。お姉ちゃんと会ってることがバレた、と。
姉と会ってることがバレてなにが悪いのか、実家はどこの北朝鮮だ?と思いながら話を聞いていると私のSNS上からバレたという。
ここで大きな疑問である。私のSNSをなぜ両親が知っているのか?
私は上京する少し前にFacebookも前にやっていたTwitterのアカウントもやめて、大学関係や本名で繋がっていた人等足がつきそうな人と繋がっているアカウントは一つだけ残してそこに鍵をかけた。勿論アカウントには本当にLINEでも繋がっているような大学のほんのひと握りの友人しかおらず中学や高校の時の知り合いは全員切った。そうして両親が辿れそうな人を一切残さずに新しいアカウントを作ったのが「ピリンザラザ」である。本名まで捨てたのだ。


それを、いつのまにかあの粘着質の塊のような父がどうやって嗅ぎつけたのか知っており、あの居間にあるパソコンの画面に映して毎晩の楽しみとしてニチャニチャと眺めていたらしい。
考えるだけでも吐き気がする、どうして悪意しかない人間がそこまでして私を観察したいのか。
私にとってもう捨てられなくなったこの絵柄と名前、交友関係を人質に取ったように勝ち誇った気分でいるのか。私のアカウントを見るのは私の絵がすきな人で、私は純粋に好きなことをやって交流していただけなのに、どうしてそんなところまで日常の日課、ゴシップとして観察され続けなければいけないのか。
縁を切った娘をSNSでわざわざ見つけ出して観察してる異常性もさながら、どうしてバレたのか。

 

 


私の痛恨のミスは妹にアカウントを教えたことである。あんなに問題ある家族で育ったにも関わらず、妹をユダだと疑わない自分の馬鹿さ加減に呆れた。傷つけられても人を信じようと思えることは私の良いところでもあり詰めの甘いところであり、家族においては絶好の隙なのだ。
しかし、自分だけが酷い目にあっていい存在だったと認めることが出来ない私の病的な幻想故にここまできても妹が私を両親に売っているのだと考えることが出来なかった。「教えるわけないじゃん、勝手に携帯を見られたのかも」という話ぶりは母が父に私のメールを見せていたときと酷似していたが、すんなりとまた信じてしまったのだ。


そこから怒涛のように「今怒鳴られていて裸足でスマホだけ持って家出をして、友人の家に逃げこんだ」「どうしよう、もう家には帰らない」等の連絡が来た。
私は次の日の始発で二時間かけ靴を持って迎えにいき、「もう逃げよう、最初はわからないことが多いかもしれないけどもう20歳だから自立も出来る。シェルターや施設にも入ることは出来る。私のところにきてもいい。」と伝えた。
一緒に向かった先は私以外の家族は両親のその凶悪さ故に没交渉となっている父方の祖母の家だった。家族以外で力になってくれそうな大人がいることを妹に教え、また、両親が没交渉になっていることで妹が受け取ることが出来なかったけどいつか渡そうと思っていると祖母から聞いていた高校の卒業祝いのまとまったお金が妹にきちんといく機会を与え、今逃げる為の足しだったりもし家に戻ることとなっても軟禁されてる状態で逃げようというときに交通費やどこかに泊まるお金がある状態にできればとの思いからだった。
しかしその後祖母が呼んだ父方の叔父まで現れ、妹は説得のもと案外にもさらっと実家に帰った。
それから妹が通帳を作る手続きも出来るように手伝い、妹もこれまでよりは逃げる手立てがあって楽になったんじゃないかなと呑気に過ごして数ヶ月が経った。

 


妹からまた突然連絡がきた。「通帳を作ったことが実家に送られてきた書類からバレた」「10万が入った通帳は何処だと言われたけど言ったら没収されてしまうから姉に預けてそのまま知らないと言った」「両親は貴方のことを泥棒扱いしているが許してほしい、もうこの家はダメだ私も辛い」という内容だった。


このとき初めて目が覚めた。
私は勿論妹の通帳なんて預かっているはずがない。もし私が刑事罰に問われたらどうするつもりだったのだろうか。それより、親の知らない遠方の友人に預けた等言いようはいくらでもあるのにそのお金が自分のものになるように仲介した姉を「こいつならいいだろう」と売って、一方で自分は罪悪感を得たくないから許して欲しいとわざわざLINEで送ってくるなんて、あまりにも精神が図太すぎる。どこまで強欲で図々しいのだろうかと思った。
きっとこれまでもSNSしかり私のことを売ってきたのだろうけれど、妹が自分で言ってきたことでやっと認めざるを得なくなった。
「もう逃げられるんだし姉を売ってまで嘘つかないといけないのはおかしいよ、逃げたら?」と言うと「このまま受験を受けて進学したいから逃げられない」と返ってきた。


はじめてこの人は「逃げたい」と言いたいだけで逃げたい訳ではなく私が助けようとした手立てはまったくの無駄だったのだということに気づいた。妹のやけに真剣じみた相談は例えるならば彼氏の悪口を延々辛そうに話すが「別れれば?」というと「◯◯君にもいいところがあるの!」と烈火の如く怒りだすタイプのそれに過ぎなかった。
「それは結局親のご加護の元で進学したいってことで、他に選択肢を提示しても文句だけ言うのは流石に甘えているんじゃない?でもでもだってって人はもう助けられないよ」と送ると、もう返事は来なくなった。
私は劣悪な鳥籠に閉じ込められた鳥だったけれど、妹はふかふかのクッションが敷かれた鳥籠に好きでとどまっている鳥だった。

 

 


それが秋のことで、その次の年のゴールデンウィーク終わりに妹から「◯◯大学の心理学部に入学しました。今までありがとう!」というLINEが送られてきた。
頭の中ははてなでいっぱいだった。◯◯大といえば、私が現役で入った大学と大してランクの変わらない、実家から遠方の私学じゃないか。優秀だから二浪もすることが許されていたのに結局2年もかけて行ったのは私立の私と同レベルの、しかも医学部じゃないって全然失敗じゃないか。なんなら妹の方が2年もかけてんだから現役で入った私の方が優秀だったじゃないか。
医学部に行くっていう、姉を10万で売ってまで通した信念はなんだったのか。


あ、関西には何故か軟禁中にアプリで見つけてテレフォンエッチをしている韓国人の彼氏がいるから妹には都合がいいんだっけ。そんなことを考えた。
私は、それにしても何故5月に連絡が来たのかを問うてみた。どうせ3月に報告をすれば姉から邪魔が入るかもしれないとまた私がいないところで私の人格とはもはやかけ離れた人形劇じみた妄想による話し合いが行われた結果なのだろうという、それこそ被害妄想じみているがかなしくも当たってしまうような想像が頭に巡った。
妹は「後期で受かったから」「コロナ禍で」等の無理があるこじつけの文を送ってきたが、その簡単にそれっぽいことを言えば人を騙せる、都合のいい時だけ連絡して家族面したい姿勢にはやはり母の面影が見えた。

 

 


それからしばらくして、夏のことである。
祖母から突然LINEが来た。「引っ越しのことブログにあげちゃだめだよ」
去年の夏、私は上京して最初に住んでいた家から引っ越しをした。SNSに上げたのは大したことのない、荷物の一部として額に入った絵などを自転車の籠に積んだ写真だ。何処に引っ越すとも何も書いていない。「どうして私が私を好きな人と交流する場で、私の近況を載せることがおかしいことなの?」と返事をしたが、あぁまたあの粘着質の両親が私の別に文句の付け所等ないただの投稿を盗み見ている分際で品評などを交わし、それがなんらかの形で祖母に伝わったのだなと合点がいった。
ただでさえ絵以外のことはあまり呟かないアカウントで、久しぶりに動きが見れて面白かったのだろうか。あの家でトラブルが多かった理由がよくわかる。なんのことはない、彼らが火のないところに煙を立てる天才だったのだ。なんせ誰でも見れるように公開している、人が引っ越した程度の情報が何の話題になろうか。当の私はあの人達に未だにエンタメにされているという事実そのものが本当に気持ちが悪く、グエッ…とカエルのような嗚咽を漏らした。
人気商売だ。フォロワーが増えるにつれて距離感がおかしい人や変な捉え方をする人を受け入れることができないなんて次元の話はしていない。私はただ、憎くて気持ちの悪い、人を馬鹿にすることしか考えていない、過去に私にもたらした害が負債の様に降り積もっている状態の血族に私がお茶の間の話題を「与えている」構造が嫌で仕方がないのだ。まだ私からエネルギーを吸い取るつもりなのか、と。


数週間後、妹から連絡がきた。「10万円の件で貴方に誤解をさせてしまったということを夏休みに実家に帰って祖母宅にも遊びに行ったときに聞いた。誤解させてしまった言い方については100%私が悪かったと思っているが、それは誤解である」
要約するとこんなものだろうか。


わかるだろうか、まただ。また一方的で、事後報告なのだ。助けて欲しいと言えば私を釣ることができたうちは散々お金を使わせ、存在そのものを利用し、表面的には母と同じく「仲のいい姉妹ごっこ」に講じており、不義理をはたらいても祖母から聞いてはじめて、あくまで一方的に自分が悪く思われたくないという理由により要求だけを伝える。もはやコミュニケーションを取る気なんかないのだ。誤解されたくないにしては行動が短絡的すぎる、本当に心理学を学んでいるのか、共感性が低い方がカウンセラーは向いているんだったか…あんなに逃げたいと言っていた実家に夏休みに帰って祖母宅にまで遊びにいき、祖母との縁を取り持った姉に対してすべて事後報告で自分の都合のいいところだけ伝えればいいやというそのスタンスはこいつが母や父と同じで私を舐めくさっているのだということを物語っていた。

 


どうしてこの人達はこんなにも負のオーラを振りまいているのだろう。メールやLINEの一通が送られてくるだけで本当に文字通り精気が吸い取られるのだ。関わらないようにしてるのに、送られて来た文からは見下していることが透けて見えるから、あの家に生まれてしまっただけでこんな奴らに付き纏われている自分が情けなくてやるせなくなってくる。
「LINEを見なければいいのに」「連絡が取れない状態にすれば良いのに」と思うだろうか。
自分の情報だけが悪意ある者に覗かれっぱなしであることは怖いのだ。他人なんかよりずっと執着心の強い人間達だ。同じことはしなくともわざわざ連絡をしてくるのであればその内容から相手の動向くらいは推察しておくのは必須であろう。

 


「人がいないところで相変わらず噂話が楽しいみたいですね。」と送った。
妹は「父は確かにお姉ちゃんのTwitterを毎晩チェックしているけど、特になにも言ってないよ」と返事をした。誰も何も言ってないのにどうして私が引っ越した程度の話がまわり回って祖母から咎められるような文面で送られてくるのか?
名前を変え住む場所も変え全ての情報、交友関係をひた隠しにしてまでやりたいことのために作ったアカウントを毎晩チェックしていることをまるで普通のことのように言っている妹はなんなのか?それがストーカー行為で、異常行動だということをわかっていないのか。
ここでやっと、私は妹自身が父親に私のアカウントをバラしたんだろうなということに気がついた。口ぶりが母そっくりだったからである。

 


似たような状況に置かれている妹を救うことで過去の自分が救われるなんて風に思ったりもしたが、妹は妹で私ではなく、なおかつ私なんかよりもずっと優遇されたポジションにいることを見ようとしていなかった。
思い起こせば私以外の家族は普通に仲良しだった。妹が生まれてすぐの頃から母は妹を常に優遇し、私のたまに妹に話しかけたりすることや取るにたらないつっけんどんな返し等にさえいちいち口を挟み広げ無理くり罪状を言い渡し、私を悪役にしたてあげては土下座をさせ、一連のパワーゲームを愉しんでいた。妹にとっては幼少期からその光景は当たり前だった。
中学や高校の夏休み、父が自営業を始め母もその手伝いで家にいなかった。両親は妹にだけ玄関とエントランスの鍵をわたし、私は図書館で勉強することを名目に一日中締め出されていた。勿論通信機器もお金もほぼ持たされずに。もらえるお金は毎日120円のみで、自販機でコーラを買うかコンビニで安いパンを買うかが大きな選択となっていた。
耐えきれず私が小さい体躯を利用して風呂場の窓から身体を捻りいれて侵入したときなどはそれを両親に通報するのが妹の役目だった。
そんなことも、都合よく見て見ぬふりをし続けてしまっていたのだ。

 


私は妹を諦めた。
しかし、事件はまた忘れた頃に起きた。