家出少女たちの面倒をみるバイトをしていた頃の話

今日は昨日よりちょっとだけ成長が見られている。17時に起床したからである。
アラームはかけても大概無駄なのであまり寝過ぎないように布団ではなくホットカーペットで眠りにつく作戦を取ったところ、無事空が暗くなるギリギリちょっと前に起床することに成功したのである。
生活リズムが狂い切ってしまった人間にとっては空がまだ明るい頃に目を覚ませると「あ、まだ一日を無駄にしきってはいないのだ」と安心感を得ることができるのだ。
わたしはゆっくりと風呂を沸かし半身浴をし髪を乾かして結んでちゃんとお化粧をして、外に出てもまあいいだろうといった服を着て外に出た。
17時に起きた分の成長である。
堕落した生活を送っていて尚且つ冬だったりすると本当に人に会ってはいけないようなパジャマ+αのもこもこみたいな格好で外に出てしまうのでやる気が削がれやすい。
その点今日の私はかなり優秀なのである。
やはり身だしなみは心を整えるな、一般的に大事とされる習慣には大いに意味があるのだ、と胸に留めておいた。


そういえば私は正月早々暇を持て余した勢いで太宰治の「人間失格」を読んでしまい、まんまと「人間失格」の内容に引っ張られてしまっているのだった。
そもそもそんな小説を正月早々読もうとする人間はもう人間失格に最初から引っ張られているのだ。許しがたい自分をギリギリ擁護したくて読むのだ。


太宰を敵対視し、異常なまでに彼に否定的だったとされる三島由紀夫は「朝ちゃんと起きて運動をしてどうたらこうたら(要するにきちんとした生活習慣を取る)すれば太宰の病気は治ったはずなのに、治そうとしない病人は病人じゃない」というようなことを言っていた。(思い出せる範囲なので記憶違いの部分もあるかも)
まさしくそうなんだよな、本当にそうなんだよなと思いながら生活習慣をまともに戻すことの難しさを思い出す。
もはやまともに朝6時に起きて元気に遊びまわっていた小学生中学生時代が狂気の沙汰に思える。

 


しかし17時に起きたからといって特にまともなことはしていない。
ただ今日もブログを書いているだけである。
何もしていないと思考が変に深まってしまったり些細なことが心の憐憫に触れてしまったりするもので、私は自分が忙しく頑張れているときはその現象を「怠け者じみた貴族の戯れ」と心の中で小馬鹿にしていた。
実際にこんな風にダラダラと意味のない文を書き続けることが出来るのは相当な贅沢であると思っている。

 


東京に引っ越して来る前、昼間は児童館で働きながら夜に週二回ほど深夜に家出少女達の面倒を見るバイトをしていた。
絵描き仲間の紹介で始めたそのバイトは、様々な家庭環境の問題により家にいることが出来なくなった10代の女の子達が自立する為のステップとして身を寄せ合って暮らす、家と寮の中間のようなところだった。
元来寂しがりの私にはそのアットホームさがちょうどよく、いつもリビングでテレビをつけながら絵を描いたりしてなんやかんやとおしゃべりをしたがる少女たちとお菓子を食べたりあったかいお茶を飲んだりしながら過ごすのが好きだった。
好きだった一方で私は年齢も境遇も近い彼女たちに持ってしまったある種の嫉妬に狂いそうになる反面を持っていた。
こんなのは再燃された被害者意識と強い同族嫌悪なのだ。


家庭環境が複雑な少女達は「ふつう」の存在を求めていた。
彼女たちは私に辛さやどうにもならない気持ちを吐露しながら、それを「普通に生きてこれているとされる私」に可哀想だね、がんばったね、と受け止められることを望んでいた。
今なら多少動揺せずに彼女たちの不満をわかるよ、と聞き入れることが出来るかもしれないが、当時の私は再燃された自己の被害者意識に揺るがされていた。

 

 

今更自分語りをしても仕方がないが私自身も家庭環境には相当恵まれなかった方だという思いがあるからこそそんな仕事をしているのに、甘えてんじゃねぇぞと。お前らは私に甘えられていいかもしれないけど、じゃあ、私は誰に甘えればいいんだ!とお金をもらっている立場にもかかわらず一人で自分が一番この世で不幸だと思おうとする沼にハマっていった。
不幸でも一人で生きてきた人間は一人で生きてこれた人間だから大丈夫なのか?
そんなのってあんまりじゃないか?
彼女たちが自分にないものを私に期待するように私も自分にないものを彼女たちに求め、嫉妬の材料にしていた。


似ているだれかに嫉妬して、誰かを否定していいことにすることで自分を守ろうとしていたのかもしれない。


暗澹たる部分は心の一部だけなもので、実際は楽しい部分の方が多かった。
鍵をなくしたのに門限を絶対に守らないで不良とばっか夜までほっつき歩いてる家出少女からの「家に入れてくれ」という電話を心を鬼にして無視し倒して締め出した日もあれば少年院帰りの家出少女のいざこざに巻き込まれ、爆発してバーサーカー状態になった彼女の暴走とリビングから聞こえてくる咆哮にビビりながらキッチンに走り包丁を抜き取って宿直室に猛スピードで走って震えて朝を迎えたこともあり、また夜に勝手に朝ごはんの分のご飯を食べてしまう家出少女との内なる駆け引きがあったり胡散臭いスピリチュアルにハマってしまった家出少女にとっつかまって深夜に2時間半もスピリチュアルDVDを見せられたあげく「真剣に見てない」と怒られた日もあった。


毎度心でブチ切れてはいたが彼女たちの人生の一部に触れるのは本当に面白くて、私は「リビング」と名のつく場所が大好きで、そこに人が集まって意味もなく酒もなくただダラダラとするのが本当に安心した。
仕事でそんな空間を得れるなんて実際にもうリビングに戻ることの出来ない人間には心から充実した瞬間だったのだ。


よし、バイトでもして2020年は仲のいい友人と住んでリビングでダラダラするか!f:id:pirinzaraza:20200109051507j:image