エロ小説を貸してくる男

 

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これは2年ほど前、私がたった1単位の為に大学を休学してない金をドブに捨てるがごとく足繁くbarに通っていた頃の出来事である。
そのBarはかつて働いていた店の店長によく連れて行ってもらっていた店で、当初は明け方に行くことが多かったのでカウンターの中にいる一つ一つの発音がおそろしく巻き舌なマスターを本気で外国人だと思っていた。
そのマスターは通ううちにふつうのやさしい日本人だとわかるが、私はあのマスター以上に巻き舌な人間を見たことがない。
一人で行くこともあれば友人を連れていくこともしばしばある程私はそのBarを気に入っていた。
ある9月の週末に友人二人とふらっと訪れたときにその男はいた。
私がその男と話をしたきっかけは、その男が私をこのBarに連れてきてくれた人の友人で、一度会ったことがあるからだった。
 彼は自分が写真を撮っているのだと話した。そんなことよりも私は共通店があることによって美人な友人よりも自分に話しかけてくれることが嬉しかった。そういう女だったのである。


当時の私は本当に、私に比べたら動物園のライオンの方がまだ忙しいんじゃないかといえるくらい暇だった。
 BarでFaceBookを交換したことがきっかけで彼がとある店で個展をするということを知った私は数日後彼の展示に足を運んだ。その時の私は「アーティスティックな人たちに触れて素敵な人間関係が広がっちゃうかも☆?!」と浮き足立っていたもんでそれはもう少女漫画の主人公もビックリするほどの即興ロマンス劇場が頭のうちに広がっていた。
私の頭の中のロマンス劇場では個展に行ったことをきっかけにアーティティック(?)な人達の仲間に自分も加わり、切磋琢磨しながら楽しいアーティティックライフを送るとこまでが出来上がっていた。デトロイトメタルシティという漫画の主人公の妄想と中身は似ているかもしれない。
まもなくしてその妄想的ロマンス劇場はこの男を介して本当に実現されることになる。
だが、デトロイトメタルシティを読んだことのある人ならばうすうす勘付いているだろう。この「アーティストの輪」はクソダサ集団の褒め合い合戦みたいな場だったのであるが、その話はまた別の機会にしよう。


 展示で出会った人はそれぞれ皆歌を歌ったり絵を描いたり踊りを踊っていたりなど思い思いの活動をしており、私は「エラい人と知り合えたもんだなあ」と目をキラキラさせてその人たちとFace Bookを教えあいっこした。前述した通り動物園のライオンより暇な私は一人のときによく絵を描いたりしていたが特に目標も目的もなく人にそれいいねと言ってもらうこともなかったのだが、彼らとFBを交換した途端、私の絵にイイネやコメントがつくようになった。
 私の鼻はピノキオのように伸び、自分が凄いことをやっているんだ!意義のあることをやっているんだ!といきり立った。世の中には様々なコンプレックスを持った人がいるがこの頃の私は「暇コンプレックス」だったんだと思う。
そうしてその写真家の誘いに乗って飲み会やBBQなどに行くうちにその男の家に誘われた。
私は本当に馬鹿なので途中まで「みんなで」という意味で言っているのかと本気で思っていたが途中から「そういうことか」と気づいた瞬間、「私のことを女として見てくれてるってこと?!激レアじゃん!!恋の予感!!!!!!しかもアーティスティックな男との恋…!!!」とまたしてもロマンス劇場を立ち上げてしまった。自ら盲目になっていくタチである。
あっという間に日取りも決まり彼の家に行った。男の家は田舎だったがその分広く、レコードなんかを置いて洒落た空間が出来上がっていた。
その家にはカメの小さなぬいぐるみが置いてあって、私が「かわいい」というとそのカメは喋ったり頭を震わせたりした。正確にいうとカメを持った後ろの30代後半の男が、普段の声からは想像もつかないような珍妙な声に神妙な面持ちで唇を動かしていた。
私は一瞬思考がフリーズし漫画でいう顔に縦線が入ったような状態になったが、一度足を踏み入れてしまったという事実は私を引き返させてはくれないもので「カメで喋ってるって可愛い一面!!」とメルヘンな彼全肯定方向で思考の舵を切った。 レディーガガが愛用しているらしい香はレディーガガが愛用しているだけあっていい匂いがした。
 
純文学とはかねがね読んだら赤面するような艶めかしく執拗なくらいの性的表現が多いことは私も知っていた。
彼の貸す小説は純文学ばかりではなかったがどれも性に特化したものだった。性に特化してないものはなかったんじゃないかというくらいだ。
そのどれも、きっと深い意味がある素晴らしい小説なのであろうが私にはイマイチ良さがわからなかった。
男性版娼婦として美人で金持ちな女性の放尿を見守る小説や可愛い女の子に調教されて喜びを感じるようになった男の話など、これを若い女の子に貸し出してどういう返答を待っているのかまったく不明であった。
しかし恋とは愚かなもので、私は馬鹿真面目に「こういうときに自分のアピールポイントを見せるべきなのではないか」と思いこんで小説に隠された彼のメッセージ性を読み解こうと躍起になった。もしこれがありのままのメッセージであるとするならば彼は数多の性癖を持つ男、もしくは乙女に遠回しに恥辱を与えるタイプの変態である。
そんな考えには蓋をして私は毎回彼の家に行く前に感想を言う練習までして行っていたのである。
どこまでいっても馬鹿馬鹿しいことに心血をそそぐ性格である。


彼が私に貸し出した本の中で特に強烈だったものが二つある。
一つは彼が例のレディーガガが愛用しているのだとかいう香を焚きながら神妙な面持ちでポツリポツリ仏教に影響を受けて香を焚いていることだとか自分が鬱だったことだとかを語りだしたときに「これが、僕が鬱だった時にずっと読んでいた本です」と言って差し出してきたものである。
なんでも彼の話によると一年ほど夢かうつつかわからないような中で川で寝そべってはこの本を読み返すことを繰り返していたらしい。


私はその本を受け取ってすぐさま帰りの電車から読み始めた。
私の、すぐ少女漫画の主人公になりきってしまうロマンチック妄想が爆裂して「影のある大人の男との秘密の本の貸し借り…きっと今度こそ彼の深い核心に迫るときなのね。そして、それを理解出来るのは私だけ…」と思考は酔狂の一途を辿った。


しかしこの本がまた私との相性が最悪で、どうにも目が滑ってしまい読むのに大変困難した。
  ある夫婦の奥さんが手違いで病院に運ばれてしまい、帰ってこなくなる。行方不明になった妻を探して夫は病院に乗り込む-という設定だ。
性器が4つ付いている男が出てきても、軟体人間の性狂いの少女がでてきても、探していた妻が病院内で
どれだけ絶頂に達せるかのコンテストに出場して優勝していたときも「きっとどこかに仏教的エッセンスがあるに違いない。きっと教訓があるのだろう」ともはや血眼になって文章の合間合間から探しとろうとしたがついにこの本をどう読めば正解だったのか分からず感想を言うことを放棄した。
感想を言うことを放棄してしまった以上返す機会も伺えず、その小説は今も私の部屋の本棚で埃をかぶっている。


もう一つは唯一貸してくれたものの中で性に特化していなかった小説で、何といったってニートが主人公なのだから性との関連性も低かったのだ。
理由は忘れたが社会生活がうまくいかなかったか何だかで家に引きこもっていたニートがある戦時中に使われていた薬剤だかに関心を示して大量殺戮を行うストーリーなのだ。
あまり性に傾倒していなかったおかげもあって感想が書きやすかった。
彼に貸し出される小説はいつも私にとって大して面白く感じないものだったので毎回読み終わるまでにした苦労を綺麗な感想を言って彼に認めてもらうことでプラマイゼロ化しようと必死だったのだ。


今回の本は最近彼が購入して読み終えたばかりのものだったので私に貸し出す前にFBにオシャレなポエムと載せられていた。そのポエムに擦り合わせながら「これはもう120%の感想であろう!」と自信たっぷりで言い切れる出来の感想をこしらえ、即座にラインに長文の感想を投下した。
学校の先生に採点をお願いするかのような心持ちであった。
さぞや私のことも見直したであろう、知的で素晴らしい女性と思っていただけたであろうとニヤニヤしながら過ごしていると程なくしてラインの通知が鳴った。
彼から送られてきたのは文章ではなく今日撮ったという空の写真だった。


これは仏教で言う空と絡めているのだろうか?彼は私の認められたいという気持ちを全て見透かした上でこの空の画像を送ってきたのであろうか?
再び深読みの世界に没入しようとしていたところ、突然私の頭は思考を放棄する方へ舵を切られた。
きっと私の脳内で航海していた船は突然の方向転換に今にも転覆の危機を迎えていたであろう。


そうして私は思い出したのだ。
彼は一度足りとも私に本の感想を尋ねたことはなかった。本の感想ばかりか私は一度足りとも自分の好きな小説も、音楽も、映画も彼に聞かれたことはなかったのだ。


あれから数年が経ち、今回このエッセイを書こうと思ってエピソードを思い起こしながらたまたま正月の特番でやっていた「不思議の国のアリス」をBGM代わりにかけていた。
ふと、先程の性狂いしかいない病院の小説と似ているなと思った。全てがあべこべな世界で何の教訓もない。それぞれの存在に必要な役割が課せられていない。そういったエゴからの解放が禅の精神と繋がっているのかもしれない。
何となく納得したような気にもなったがきっと今これを送って私がどうだどうだ!と勝ち誇った表情で返事を待ったところでまた今日彼が撮ったというなんらかの写真が送られてくるだけであろう。彼はそういう男なのだ。