スーパーフライフライ事件

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これは私が前回載せた、エロ小説を貸してくる男と同時期に起こった事件である。
なんせ彼女は男のアート仲間の一人だったのだ。
私が件の男と関わるようになってすぐ、男は「ピリンちゃんに紹介したい」と言ってテクニカルにFBの自分の友人を友人に紹介する機能のようなものを使い、何人かのアート友達をフォロー斡旋してきた。
その中にいたのがスーパーフライだった。勿論本物のスーパーフライではない。
昔のスーパーフライのような様相をしていたのである。
彼女は私の一個年下で服飾の専門学校に通いながら絵を描くなどの活動をしている人らしかった。
彼女と件の男が知り合ったのは、これまた知り合いづてかなにかで写真を撮る依頼がスーパーフライから入ったことがきっかけだったらしい。


私は元からスーパーフライのような格好をする人間には偏見があった。
自分の格好は棚に上げてスーパーフライ系の人は一括りの「型にはまらない奇抜な格好をして皆量産型スーパーフライに陥ってしまった人」というイメージが実は未だある。
芸能人の量産型とされるファッションは大概の人に当てはまってしまうはずだが、何故か昔から「スーパーフライ系」の人だけはダサいと思っていた。


とにかく私は「スーパーフライ系の人」の枠に彼女をラベル分けした。
スーパーフライ系の人の枠組みとは一体何なんであろうか。


スーパーフライのFBはよく更新されていた。彼女はポートレートやペンキをベシャッとキャンバス一面に散らしまくったりしたところに意味の有り気な英語の名前などをつけた投稿をよくしていた。
それは私が想像していたよりもはるかに「スーパーフライっぽい服飾生」の完全体っぽい行動のように思われた。


私は抽象画があまり得意でなかったのでスーパーフライの描く絵の意味も文言もあまり頭には入ってこなかった。
しかしスーパーフライはそれなりに人気で、いつも投稿には沢山イイネが付いていたり「深い…」などのコメントも付いていたので密かに嫉妬をしていた。


私にはわからないものだっただけかもしれないが、その時期の私は「それっぽいものにそれっぽい言葉載せて褒められて満足してんなよ!!」と一人で躍起になってスーパーフライよりも認められたくて絵を描いていた部分がかなり強かった。


ある時件の男に誘われてとある居酒屋に行ってみると、スーパーフライとたった今ブラジルから飛行機で降り立ったのかというような派手な爺さんがいた。派手な爺さんは「俺は少年隊にスケートを教えたことがあるゼェ!」と調子良く話していた。派手な爺さんは見た目に反してそう大した話もなかったので私はこの話が爺さん唯一の輝ける話なのだから真実に違いないと信じて疑わなかったのだが、後日件の男によってスケートの話は真っ赤な嘘だということが明かされる。
そしてその夜、スーパーフライと爺さんは二人でどこかに消えていった。


その日からの爺さんは酷いもんで顔を合わせればスーパーフライとの下世話な話を聞かせてきた。
真偽は定かではないがそれからスーパーフライは常に派手爺さんとセットでのみ登場する様になったので派手爺さんの言っていたことはあながち間違っていなかったと思えた。


間も無くして派手爺さんが「スーパーフライちゃんは天才だ!俺はあの子の才能に心を打たれたんだ!俺が前面プロデュースしてスーパーフライちゃんとブランドを立ち上げる!」などと大見得を切り始めた。
無論爺さんは普通の家庭あるサラリーマンなので資金もなければコネもノウハウもない。服飾関係の知識なんて全くないただの派手な爺さんであるので私はもとよりよく皆が集まるBarの店主もジジイの戯言だと思っていた。


それからしばらくしてFBとインスタグラム、両方に申請が来たのでなんだろうと思って見るとスーパーフライと爺さんで作ったというブランドのページだった。スペインかどこかの言葉からつけられたらしき名前に〜アートとは、感じること〜のようなイマイチ私にはピンとこない文言が添えられたページだった。


またしばらくしていつものようにバーに行くと、派手爺さんとスーパーフライが座っていて、派手爺さんが段ボールをどすんと机の上に乗せて仲間達にTシャツを売りさばいていた。
爺さんの「ピリンちゃんも買わないか」という声を無視しつつ随分盛り上がってるなあとぼんやり眺めていた。Tシャツは以前バーで語られていた華々しい「ブランド」の姿からは程遠くなってしまった、オリジナル要素といえばギラギラとしたワンポイントが胸に光るだけのサークルや部活で作れるシャツだった。

 


買わなかった私の判断も賢明だったのかやがて仲間うちにほぼ無理矢理Tシャツを売り捌く爺さんに対してバーの店主や件の男がキレるようになってきた。
そりゃ自分のお客さんや友達に売りさばかれても困るだろう。
しかし普段寡黙な件の男が立ち上がって爺さんの胸ぐらを掴んでまで絞り出した言葉は
「若者の未来を摘むな!」だった。私はびっくり仰天した。
私にはエロ小説を貸してくるしか脳のなかった男がスーパーフライの芸術性を高く認めた上で守ろうと男気をそんなに見せてくるとは。
私にはスーパーフライの芸術性がさっぱりわからなかった分、打ちのめされるように落ち込んだ。


その後も爺もスーパーフライもいないバーで、大人の男達が討論をするのを眺めていた。皆、仲間うちに売り付ける悪徳さではなく「スーパーフライちゃんという、若く才能のある女の子の未来を傷つけた」ことに声を荒げて悲しみ、彼女を守ろうとしていた。
私はその時察した。
私は最初からスーパーフライの取り巻き達のコミュニティに紛れ込んでいただけだったのだ。


しかし、大人達の討論もむなしくスーパーフライは突然フッと消えた。
彼女は突然、飛行機の距離の見知らぬ土地に引っ越した。
彼女なりの理由が色々あったらしいが私は爺さんとの一件でこの街に居づらくなったのもあったのではないかと思っている。
あれから私はそんな彼女が紹介してくれた施設でかれこれ二年くらい働いている。
私は未だにスーパーフライのことを思い出すと強い劣等感を感じ、頑張って描き続けなきゃと思う。
数ヶ月前、自分がもうすぐ東京に行ってブランドを作るのだという話をその頃よく行っていたバーの店主にすると店主は「派手爺とでもすんのかい」と茶化した。
私が笑って「絶対あの二人みたいな失敗はしない」と言うと店主は「二人が失敗したんじゃなくて爺さんが失敗したんだよ。スーパーフライは頑張ってた」と言った。
頑張ってたもなにもスーパーフライは私から見たらそれっぽい絵にそれっぽい言葉をつけて不倫して爺さんの金でTシャツとそれっぽいSNSのページを作っただけじゃないか。全部形だけじゃないか。
私はあれからもずっと絵を描いてるのに、私は誰にも頼らず一人でやってるのになんで私のことは褒めてくれないのにスーパーフライのことは消えてしまってもけして悪くは言わないんだろう。


そして数週間前、こっちに戻ってきていたスーパーフライと偶然会って少し話をした。
彼女はもうスーパーフライではなくなっていた。絵を描いているのかと聞いて、「最近全然描いてない」という彼女の声を聞いて肩の荷が降りるような感覚があった。


彼女の芸術のよさがわからなかったのか、彼女の芸術のよさを見て見ぬフリをしていたのかはわからないが、結局私はスーパーフライの芸術のよさは最後までわからなかった。
わからなかったからこそ自分のやっていることこそが本物なのだと信じたくてずっと一人で闘ってきた。


私も彼女に勝手に振り回されている時点でそれが彼女の魅力なのかもしれない。
いつかもういないスーパーフライの幻影を忘れることが出来るだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは私が前回載せた、エロ小説を貸してくる男と同時期に起こった事件である。
なんせ彼女は男のアート仲間の一人だったのだ。
私が件の男と関わるようになってすぐ、男は「ピリンちゃんに紹介したい」と言ってテクニカルにFBの自分の友人を友人に紹介する機能のようなものを使い、何人かのアート友達をフォロー斡旋してきた。
その中にいたのがスーパーフライだった。勿論本物のスーパーフライではない。
昔のスーパーフライのような様相をしていたのである。
彼女は私の一個年下で服飾の専門学校に通いながら絵を描くなどの活動をしている人らしかった。
彼女と件の男が知り合ったのは、これまた知り合いづてかなにかで写真を撮る依頼がスーパーフライから入ったことがきっかけだったらしい。


私は元からスーパーフライのような格好をする人間には偏見があった。
自分の格好は棚に上げてスーパーフライ系の人は一括りの「型にはまらない奇抜な格好をして皆量産型スーパーフライに陥ってしまった人」というイメージが実は未だある。
芸能人の量産型とされるファッションは大概の人に当てはまってしまうはずだが、何故か昔から「スーパーフライ系」の人だけはダサいと思っていた。


とにかく私は「スーパーフライ系の人」の枠に彼女をラベル分けした。
スーパーフライ系の人の枠組みとは一体何なんであろうか。


スーパーフライのFBはよく更新されていた。彼女はポートレートやペンキをベシャッとキャンバス一面に散らしまくったりしたところに意味の有り気な英語の名前などをつけた投稿をよくしていた。
それは私が想像していたよりもはるかに「スーパーフライっぽい服飾生」の完全体っぽい行動のように思われた。


私は抽象画があまり得意でなかったのでスーパーフライの描く絵の意味も文言もあまり頭には入ってこなかった。
しかしスーパーフライはそれなりに人気で、いつも投稿には沢山イイネが付いていたり「深い…」などのコメントも付いていたので密かに嫉妬をしていた。


私にはわからないものだっただけかもしれないが、その時期の私は「それっぽいものにそれっぽい言葉載せて褒められて満足してんなよ!!」と一人で躍起になってスーパーフライよりも認められたくて絵を描いていた部分がかなり強かった。


ある時件の男に誘われてとある居酒屋に行ってみると、スーパーフライとたった今ブラジルから飛行機で降り立ったのかというような派手な爺さんがいた。派手な爺さんは「俺は少年隊にスケートを教えたことがあるゼェ!」と調子良く話していた。派手な爺さんは見た目に反してそう大した話もなかったので私はこの話が爺さん唯一の輝ける話なのだから真実に違いないと疑わなかったのだが、後日件の男によってスケートの話は真っ赤な嘘だということが明かされる。
そしてその夜、スーパーフライと爺さんは二人でどこかに消えていった。


その日からの爺さんは酷いもんで顔を合わせればスーパーフライとの下世話な話を聞かせてきた。
真偽は定かではないがそれからスーパーフライは常に派手爺さんとセットでのみ登場する様になったので派手爺さんの言っていたことはあながち間違っていなかったと思えた。


間も無くして派手爺さんが「スーパーフライちゃんは天才だ!俺はあの子の才能に心を打たれたんだ!俺が前面プロデュースしてスーパーフライちゃんとブランドを立ち上げる!」などと大見得を切り始めた。
無論爺さんは普通の家庭あるサラリーマンなので資金もなければコネもノウハウもない。服飾関係の知識なんて全くないただの派手な爺さんであるので私はもとよりよく皆が集まるBarの店主もジジイの戯言だと思っていた。


それからしばらくしてFBとインスタグラム、両方に申請が来たのでなんだろうと思って見るとスーパーフライと爺さんで作ったというブランドのページだった。スペインかどこかの言葉からつけられたらしき名前に〜アートとは、感じること〜のようなイマイチ私にはピンとこない文言が添えられたページだった。


またしばらくしていつものようにバーに行くと、派手爺さんとスーパーフライが座っていて、派手爺さんが段ボールをどすんと机の上に乗せて仲間達にTシャツを売りさばいていた。
爺さんの「ピリンちゃんも買わないか」という声を無視しつつ随分盛り上がってるなあとぼんやり眺めていた。Tシャツは以前バーで語られていた華々しい「ブランド」の姿からは程遠くなってしまった、オリジナル要素といえばギラギラとしたワンポイントが胸に光るだけのサークルや部活で作れるシャツだった。

 


買わなかった私の判断も賢明だったのかやがて仲間うちにほぼ無理矢理Tシャツを売り捌く爺さんに対してバーの店主や件の男がキレるようになってきた。
そりゃ自分のお客さんや友達に売りさばかれても困るだろう。
しかし普段寡黙な件の男が立ち上がって爺さんの胸ぐらを掴んでまで絞り出した言葉は
「若者の未来を摘むな!」だった。私はびっくり仰天した。
私にはエロ小説を貸してくるしか脳のなかった男がスーパーフライの芸術性を高く認めた上で守ろうと男気をそんなに見せてくるとは。
私にはスーパーフライの芸術性がさっぱりわからなかった分、打ちのめされるように落ち込んだ。


その後も爺もスーパーフライもいないバーで、大人の男達が討論をするのを眺めていた。皆、仲間うちに売り付ける悪徳さではなく「スーパーフライちゃんという、若く才能のある女の子の未来を傷つけた」ことに声を荒げて悲しみ、彼女を守ろうとしていた。
私はその時察した。
私は最初からスーパーフライの取り巻き達のコミュニティに紛れ込んでいただけだったのだ。


しかし、大人達の討論もむなしくスーパーフライは突然フッと消えた。
彼女は突然、飛行機の距離の見知らぬ土地に引っ越した。
彼女なりの理由が色々あったらしいが私は爺さんとの一件でこの街に居づらくなったのもあったのではないかと思っている。
私はそんな彼女が紹介してくれた施設でそれから二年くらい働いている。
私は未だにスーパーフライのことを思い出すと強い劣等感を感じ、頑張って描き続けなきゃと思う。
数ヶ月前、自分がもうすぐ東京に行ってブランドを作るのだという話をその頃よく行っていたバーの店主にすると店主は「派手爺とでもすんのかい」と茶化した。
私が笑って「絶対あの二人みたいな失敗はしない」と言うと店主は「二人が失敗したんじゃなくて爺さんが失敗したんだよ。スーパーフライは頑張ってた」と言った。
頑張ってたもなにもスーパーフライは私から見たらそれっぽい絵にそれっぽい言葉をつけて不倫して爺さんの金でTシャツとそれっぽいSNSのページを作っただけじゃないか。全部形だけじゃないか。
私はあれからもずっと絵を書いてるのに、私は誰にも頼らず一人でやってるのになんで私のことは褒めてくれないのにスーパーフライのことは消えてしまってもけして悪くは言わないんだろう。


そして数週間前、こっちに戻ってきていたスーパーフライと偶然会って少し話をした。
彼女はもうスーパーフライではなくなっていた。絵を描いているのかと聞いて、「最近全然描いてない」という彼女の声を聞いて肩の荷が降りるような感覚があった。


彼女の芸術のよさがわからなかったのか、彼女の芸術のよさを見て見ぬフリをしていたのかはわからないが、結局私はスーパーフライの芸術のよさは最後までわからなかった。
わからなかったからこそ自分のやっていることこそが本物なのだと信じたくてずっと一人で闘ってきた。


私も彼女に勝手に振り回されている時点でそれが彼女の魅力なのかもしれない。
いつかもういないスーパーフライの幻影を忘れることが出来るだろうか。