人間を嫌いになりたくない話

 

いつからか自分が嫌われることは厭わなくなった。
私のなにかが誰かの琴線に触れてしまうことがあるのは仕方がないことだ。
向こうが合わないと判断することは向こうのバックグラウンドに基づいた何かによるものな訳で、つまり向こうに判断を丸投げすることが出来る。
それよりももっと残酷なのはこちらが合わないかもしれない人間を沢山見つけてしまったり友人の嫌な部分ばかりが目につくようになってしまった場合だ。

自分の中で嫌いな人の嫌いな部分に関する懸念が増えていってしまうと、自分という水が入り込んだ土で泥まみれになってしまうような感覚になってしまう。
嫌だな、と感じたことでドロドロに濁ってしまった水を浄化するのは難しくてそういうときに限って必死に綺麗な水で浄化しようとしても次々と泥が投げ込まれるのである。

嫌だ、これ以上嫌いの濃度を高めたくない。嫌な人間になってしまう。
自分を丁寧に扱ってくれる人や尊敬できる人だけ見ていればいいのに。
けれど例えば好きな人でも、その人が誰かといる楽しそうなところなどをSNSで見てしまえばドッと落ち込む。
そういうときは単純に自分が嫌いになる。その人は楽しくしているだけだ。
私がただSNSに向いていないのだ。

こんなことを書くのはやはり最近人に対して「ロクなもんじゃねえな」と思うエピソードが溜まってしまったりふと思い出されたりした為である。

一つは「高円寺の路上で女の子とギターを弾いてみた話」に書いていた通りただの色ボケおじさんに絡まれたこととそれを嫌だと思っていたのが私だけだったことを知ったことだ。これの後からしばらく気持ちが落ち気味なのでナマハゲ(そのとき来たおじさん)襲来の傷は意外と大きいものとなった。

その他には久しぶりに会ったサークルの同級生の男に「おまえは浅い。おまえは承認欲求で動いてる。承認欲求で動いてる奴を馬鹿にしてるだけでお前にも承認欲求がある。絶対売れない。オマエはどうせネットや高円寺で適当に反応してくれてチヤホヤしてくれる人の温床にハマって勘違いして年を取る」というようなことを自信たっぷりに言われたことだ。
中でも「最近気になっている人がいる。」と話したときに「オマエはだまされてる。オマエってすぐ人好きになるんじゃねーの?相手にされてないから。相手合わせてるだけだから。オマエはそういうとこわかってない。誰もオマエみたいなやつ選ぶ奴いねーよ。オマエは経験に対する吸収力が低すぎる。人間はもっと普通に生きて普通の経験をして吸収していくの、オマエは何も吸収出来てない。ボーッと生きてるからそんな風になんだよ」
と言われたことだ。
チコちゃんもびっくりの発言だ。
もしかしたらそいつは前世私に親でも殺されたのだろうか?
勿論恋愛に自信がないので言い返せなかった。
人生の濃度にも自信はない。人が一生のうちに経験するだろうことのほとんどを私は経験していない。
幼なじみが就職して結婚して妊娠している一方でニートしてるんだから言われてしまうのは当たり前だ。
人から見れば私はすっからかんなのだ。
まず土台すらもなってない。
両親に育ててもらえなかった自己肯定感を大人になって必死に育てている。
自分を好きになる為に文章を書いたり絵を描いたり歌を作っている。

奴の言ったことは「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」というようなことと同義に感じる。
こっちは環境の悪い土地で小麦粉を作る畑を耕すことからやるしかないのだ。

奴は非常に話がうまい。なにしろ私とは正反対、都内に一軒家を持つ両親のもとで愛情を与えられて育ち、いい大学に行きいい会社に入って自信満々なのだ。
一瞬、私も「ああもうだめだ、人から認められたいという気持ちから逃れられない自分は死んだほうがいい」と自暴自棄になったが冷静になればなるにつれて腹が立ってきた。

何が「お前は何も吸収していない」だ。そんな風に頭ごなしに否定しているお前の方こそ何を知っているつもりか知らないけど何も吸収できないんじゃないか?」
そう自分に言い聞かせることで必死だった。
でもこんなに自分の心が揺るがされるということは少しばかりギクッとくることもあるのだろう。

長いがまだ話は続く。
今日のブログは愚痴みたいなものだ。
高円寺のカフェバーで飲んでいるときに横にいたおっさんがとにかく自分の話ばかりする人でうざったかったので別の話(会ったことがないのに妙に好意的に執着してくるフォロワーが沸いて困っていること)を店主に相談してみたところ、そのおっさんが「そりゃアンタ、悪いけどアンタが天然に見えるからだよ」と口を挟んできたので
「ハアなるほど」と答えたところ自分の後輩が私と同じタイプだと話し始めたので聞いていたら「運転中に『タバコとって』と言ったら自分でタバコを咥えて火をつけたものを渡して来たので『勘違いされちゃうよ』と説教してやった話」をされた。

おっさん…それはさあ……今どきいるか?!と思うくらいのテンプレ計算女やんけ!!!!自分の自慢話の為に私を計算天然お色気女と一緒にすんなや!!!!!
と腹が立ったにも関わらずそいつから次の日電話がかかってきて(断り切れずにラインを教えてしまった)猫なで声で『今から高円寺こな〜い?』と言われた。「無理です」と言って断ったものの何で最近こういうおっさんも次から次へと沸いてくんだよ、と腹が立ってしまった。
おっさんの思慮をはかろうとするとどうしても理解できないところにすぐにぶち当たるのでしんどくなる。

嫌だなと思った人がなぜそんな風に思考するのか考えてしまうから私が潰れてしまうのだ。

 

最後一つは私の生活の苛立ちの7割を占めるガッデムの突然の暴挙。
突然茶碗の写真が送られてきて「これは使わないで欲しかった」という旨と「洗い物の洗い方が甘い」という旨のご指摘を受けた。
茶碗は引っ越し当日に「食器類って持ってきましたか?」と言われ「いや、向こうで一式処分してきたのでこっちで買います」と答えたところ「いや!よかった!むしろ食器ありすぎてて困ってるくらいなので今あるやつを使ってほしいです」と言われ、その『使ってほしくなかった』と思しき食器もそれらと同じように普通に置いてあった。
何も言われてないのに突然勝手に使われた扱いをされて吃驚だ。
もしかしてガッデムは京都人で「これ使ってください」は「引っ越してきて食器一個も持ってきてないとはどういうことか?」という意味だったのかもしれない。
洗い物なんかガッデムはほぼ洗わずにそのまま溜まっていく一方なので嫌気がさした私がたまにガッと洗っているのにご指摘を受けた。
もしかしたらガッデムは京都で料亭を営んでいる主人で私は皿洗いのバイトなのかもしれない。
料亭の主人なら皿を勝手に使われたと怒るのも皿の洗い方が甘いとご指摘されるのも納得できる。
私は腹が立ったので

そうとは知らず失礼しました。壊してしまわずよかったです。
今後こういうことがあるとお互い嫌だと思うので、やっぱり自分が使う皿は自分で用意したもののみにします。
洗い物は溜まっているときに親切心でやっているつもりでしたが洗い方があまかったところは反省する点だと受け止めます。
やはりこれも揉める元になりますとお互い不快な思いをすると思うので、自分が使ったもののみ洗うことにします。 
よろしくお願いします。

というように送った。
ガッデムからは

そうですね。
自分も洗いものためてしまう癖があるので、その方がいいと思います。
よろしくお願い致します。

と返事が来た。
いや、謝れよ!!!!!!、!!!!!!!!!!!!!!!!!!、
そのほうがいいと思いますじゃねーんだよ!!!!お前も何も言ってなかったことと洗い物溜めてるくせに偉そうにしてること謝れや!!!!!!!、!!!!!!こっちが大人の態度で下手に出てるんだからお前もいい加減大人になれよ!!!!!!!!!
バーカ!!!!!!!!!!!!!

私の方がよほど京都人気質かもしれない。


というわけで人間が嫌いになりそうで辛いのである。
(ほぼ悪口)