二兎を追う者は一兎をも得ず

さて、1月8日である。正月が過ぎた。

去年内になんとか様々な禊(アルコールによる失敗の回収)も行われ、非常にすがすがしい気持ちで新年を迎えたのもつかの間、今非常に私は悩んでいる。

何に悩んでいるかというと本当に致命的なのだ、何もしないことで悩んでいるのだ。

ライブハウスのバイトは年初め入れるのが11日とかなりゆっくりめであるため、私はこの長い休日を有効に使い切ることを目論んでいた。

何しろ12月の中旬までは何かとせわしなく、何の予定もない日というのを一日たりとも作ることができなかったからだ。

しかし今日「明日の私も所詮は私である」という格言を残しておこう。

あまりに浅いのできっと年に数万人くらいは思いついているに違いない。

 

 

そう、明日の私も所詮は私なのである。心のどこかでは気づいていた。焦りも常に抱いている。しかし、それでも何もしなかった日の次の日はもっと何もしないのだ。

そもそも睡眠時間が狂っている。

今このブログを書いているのは深夜の4時46分なのだが、目はしっかりシャキッとしている。当然のことだ。私が今日目を覚ましたのは夕方の18時半だからだ。

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夕方の18時半に目を覚まし、今日の話題の中心である「何もしてないこと」という相当にくだらなさすぎる上に致命的な相談を毎日頑張って働いている社会人の友人に電話でめそめそと話し続け、「よし!あたしゃ今日から頑張るよ!」と言って前向きに電話を切り、ツイッターのほぼ全く使っていない隠しアカウントで例の前澤なんとかの100万円チャレンジに応募をした。

働かずして100万円が欲しい上に自分が働かずして100万円をもらおうとしている人間だということを友人やフォロワーに見られるのが嫌だったのである。

二兎を追う者は一兎をも得ず。謎の誰もフォローしてないアカウントでこっそりと給金を志願した悲しすぎる私は100万円を得ることはなく、このブログをわざわざ読んでくれるファンに「あ、こいつ、100万円もらいたかったんだな…しかもそれを隠ぺいしようとしてまで…」と思われて終わるのである。実に悲しい。

実は昨日は友人のライブに行った後に原宿のバーで飲んでいた。

 

 

年末にかけてひどい酒乱っぷりを披露して周りを巻き込んでしまった私はそれから反省し家では一切飲まなくなった。

そしてアルコールによる第三形態「覚醒」を手に入れた。

「覚醒」を簡単にいうと、体内のアルコール濃度が非常に高くなってきた状態でも精神の手綱を手放さないでいることができるのである。しかし、これはいわゆる「気を張る」ということをしている状態で実際のところ諸刃の剣であった。

どういうメカニズムなのか、たしかに酔いすぎて言動がおかしくなったり記憶が飛んだりどこかに突撃したり知らない人に話しかけまくってしまうということはなくなったのだが、今までそこまでなかった宿酔いという現象が頻繁に起こるのである。

二日酔いになるまでもなく気持ちが悪い、もしくは酔いながらトイレに走って吐く。

もしくはダウナーになることである。

私はアルコールを摂取すると一人の時以外は異常なアッパーになるのだが覚醒中の私は精神の手綱を手放さないために相当なエネルギーを使っているのか、認識できる世界がスーッと旧落下していくのを感じていく。

もうこうなってはだめなのである、自分を救えるのは自分しかいないのだということを真に突き付けられる。

まさしく二兎を追う者は一兎をも得ずである。アルコール修業は甘くないのだ。

そういう風にして私は昨日、「あ、今精神が落下している」ということを感じ取りながらなんだかすべてがどうでもいいような気分になってしまって終電を逃し、原宿から6キロ程度の距離を歩いて帰ることにした。

寒い時期の深夜は都内でも道に誰もいなくて穏やかだった。

 

 

 

私はその一時間半程度の散歩道を「何もしない自分がなぜ生きているか」ということを真剣に考えることに使った。私は落ち込むときは大抵自分という人間の無力さとそこからくる明日への不安が主題となる。

おそらく自己に対する過剰な期待が原因である。

子供の時に夢とか希望を知らなかった反動で、大人になって「私は天才なのだ!こんな絵も描けるし文も書ける!おまけに思いやりもある!!」と言っているうちに、そう簡単に変わってはくれない現実がその「絵が描ける」だとか「文が書ける」だとかの要素をそうでもなかったことにする材料に変質してしまうのだ。

もちろん私は天才というのは誰かに認められたくて行動した結果ではなくやめたくてもやめられないほどにその行為に没頭することができるエネルギーなのだと理解している。

 

 

 

しかしそれがどうにも、ロールプレイングゲームの最初の場面だとかで、ただ広場を周回することしかプログラミングされていないモブが何人もの冒険者が飛び出していくのを見ていくうちに「自分もどこかへ行くことができるのかもしれない」と夢を見たのち、自分のその脚が広場を出るように動いてくれることはないのだということを知ってしまったような絶望感を得るのだ。

そうか、だから私の脳にはもともと夢や希望などの単語は認識できないものとしてしか存在していなかったのにいつのまにかバグで勘違いを起こしてしまったのか、と。

もし私がこのまま広場で周回をし続けるモブを全うしなければいけないのだとしたら、この、どこにも行かないのに歩き続けてしまう脚をどれだけ止めてほしいだろうか。

もう何度も何度も景色として見続けた広場に咲いている小さな花を見つけることや、冒険者たちに憧れと希望を託して広場の向こうにあるに違いない世界がどんなふうだったらおもしろいかを想像してやりすごすことが、どんなにどんなに残酷なことか。

 

そんなことを考えながら歩いていたら家に着いた。広場を出ることのできないモブの何が残酷かというと「習慣を抜け出すことができずにただ同じ風景を見続ける」ことである。

現実はもうちょっと丁寧に作りこまれているようで、私はぼーっとしてる間に都内を6キロも歩いてまったく何の難もなく家にたどり着くことができてしまった。

 

そうなるとなんだか勝手に急降下した精神が持ち上がってきた。

もしそのモブが広場で見つけたいつもの小さな小さな花がすごく大好きであったりして、その花を毎日見ることが本当に心底幸せであるならその「抜けられない広場」は楽園である。

それが私にとっては絵を描くということであったりして、なんならこの世界はもうちょっと大きいので広場は広場なりに広くて見てきた景色とまったくちがうことをしても道は一応ちゃんと続いてたりするんだよなあと思った。

 

私は欲張り者のモブなのでそのお花を見ながら「あー前澤なんとかの100万円が当たってガッデムハウスとおさらばして自分の絵の世界を着ちゃったりとかして美味しく酒飲んじゃいたいなあ」なんて思いながら朝を迎えるのである。

 

自分の力でやれ、ボケっ!とだれか言ってくれ。

 

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ピリンちゃんの2019年と心に城を持ちたい話


12月に入ってから何度かこの一年のことを総括してブログにでも書いてみようと思ったがどうやら時系列に絞って広く浅く思い出して書くということがあまり得意ではない、もしくはそれを出来る程度に今年の自分を全肯定は出来ないことから断念した。

たまに読んでくれている人もいるらしいのでしばらくぶりにブログを書いてみる。

 

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私はツイッターにはよくおめでたい絵とおめでたい言葉を書いていたり人と会っているときはそこそこハッピーな人間であるので「歩くおめでたい」を名乗りたいくらいだなと思うこともあるくらいだが、内情は一人でいるときのハッピーとはかけ離れた性格の自分を励ます為のピリンちゃんだということを私について知りたい人しか読まないこのブログで伝えておく。

ブログは素面の時しか書いていないが、あまり読み返すことがないので似たようなことを記事に書いている可能性もあるがまあ私が忘れているということは皆も忘れているだろう。

なんとなく気の利いたことを言える気分にも人を癒せる言葉を放出出来そうな気分でもない年末である。
自分が東京に来たことを間違っていたとは絶対に思わないが、精神の変動を求めてやってきたこの街に私は自ら翻弄されて疲れてしまったらしい。
出来るなら今日からまる1週間くらい家に引きこもって何もしないで誰とも関わらないでただ絵を描いてすごしてみたい。
クソみたいな絵が描けそうだ。
東京にきたばかりの頃の自分はこの部屋の中以外にどこにも行く場所がないことが嫌で嫌で仕方がなかったはずだが。

 

心の平穏なんてものは心の平穏を意識しないと得られないということはよく知っている。

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自分の周りで起こることや自分が酔っ払って起こしてしまったこと、不本意なことや思い通りにならないこと、どうしていいかわからないこと、それらが本当になくなったときに私が幸福でいれているかといえば、それは一時的なものに過ぎないというのが私の中の答えだ。

 

何故なら京都で上京することを決意したときには私が今抱えてる問題は一個もなく、その代わりに平凡な日常に圧迫される心が石みたいにどっしりと置かれていたからだ。

今の私の体たらくは平凡で幸福な日々とそれを支えてくれた人たちを自ら捨てた罰かもしれない。

楽しいことはいっぱいあっても沢山の見えない壁にぶち当たって、自分という人間の矮小さを知る。
透明になりかけた自分を見るくらいなら一人ぼっちのお城に額縁に入れた思い出たちを飾りながらいずれ来る餓死を待ちたいと何度望んだことか。

東京に来て思い出は沢山出来た。友達も居場所も出来て、自分もちょっとだけ輝けていたと思う。

だからこそ今まで何も人生の旨味を知ってないから頑張って生きてそれだけでも手に入れなきゃという気概みたいなものがなくなってしまったのだ。

楽しい思い出は自信にはならず、ディスプレイになった。

 

 

そんな風に思いながらも「果報は寝て待て」なんて呑気で平和な言葉を見出して「一人の天才が誰にも見つけられずに死んでいくよ。いいの?」なんてチラッチラッと外界にSOSを送りたくなる私が相当にダサすぎて傲慢で嫌いである。

2年後くらいにこのブログを読み返すことがあったら、たとえ道端でホームレスをやっていたとしてもたとえどっかの見知らぬ国とか田舎とかで私じゃない私になっていたとしても、「ああこんなことで悩んでたねえ」と笑えるだろうか。

 


本当は2年後の自分にでもなったかのように情報を再整理して見たくないものは見ずに、心の城を守りながら外側の世界で頑張っていけたらいいのだが、外側の私がどうにも疲れてしまっているらしい。

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あんたはよくやってるよ、一年前の自分があんたの状況みたらすごい!!!!て言うよ。夢あるよ、東京きてよかったね。色んな人に出会えてあんたが見たかった景色沢山見れたね。

と自分に声をかけるたびに思う。
いやいや、そんなことじゃないんだ。
いいことも悪いことも起こるから頼むから外部刺激に惑わされずに何にも振り回されない自分でいてくれと。
そんなことすらも度々言い聞かせていたのに調子に乗って忘れてしまっていたのが今年の終わりである。

2020年、展示や引っ越しや旅行などやりたいことは沢山あるが、
一番大事なのはどんな状況でも揺るがない自分の城を心に建設することと、それが出来た上で描ける絵を描いていきたい。
城が建設されたらアルコールで失敗しなくなるだろうか…f:id:pirinzaraza:20191227043407p:image

ピリンちゃんの自己開示闘争


言葉を冒涜したくない等と言っては自己開示の暗黒面の領域を文章より絵にまかそうとする思想が正解なのかがわからない。
先週はそれに振り回されたおかげで今私の部屋のパソコンの横のサイドテーブルにはさっきまで大学生たちが宅飲みパーティーでも開いていたかのようなアルミ缶の城が積み上がっている。
これらは先週私が知らず知らずのうちに積み上げてしまったストロングゼロロング缶の残骸である。
もったいない上に美味しくもない、ただアルコールを飲んだことを自慢したいような酒が部屋に積み上がっているのはなんだか嫌だしアルミ缶を潰すのも面倒なのでこれからは黒霧島のパックでも買ってきて麦茶割り生活に戻そうか。

 

しかし「今日は飲んでやる!今日は飲んでやる!!!!今日は!!!!飲んでやる!!!!!」
と意気込みながらコンビニに立ち寄って真っ先にドリンクコーナーへ向かっていくことを私は「帰り道わくわくうきうきルート」と呼んでしまっている為黒霧島を家に常備したところで恐らく飲む酒が増えるだけのことは容易に予想されている。

余談だが帰り道わくわくうきうきルートの最終段階では、私が信仰するしいたけ占いよりも確実に私の10秒後の未来を教えてくれる「ドキドキガッデム占い」が毎度行われている。
なんのことはない、家が見えてきたと同時に家の窓にほんのりと薄暗く蛍光灯が光っているのが見えるか否かだけの話である。
真っ暗だったときは買ってきた酒が3倍くらい美味しくなり歌ったり踊ったりギターを弾いたりしている。
ちなみに9割5分いる。

ガッデムは私がルームシェアをしている縁もゆかりもない人間だが彼がどんな人であるかは過去のブログでも見ていただければ分かることだろうと思う。

 

 

 

 


今日話したいことは私の部屋のアルミ缶の城の話やガッデム占いの話なんかではなくなんで先週そんなに荒んでしまっていたかだ。

 


冗談みたいな文章よりもこの類のことの方が普段考えてる癖にどうしても披露しにくい。
怖いのだ。
今から話すことは完全な嫉妬である。
それも、誰かただ一人に向けた嫉妬ではなく仮想敵に向けた嫉妬のようなものである。

弱い面を簡単に不特定多数の他者に見せることのできる人間のことを私は心底羨ましいと思ってしまう。卑屈極まりない理論だとわかっていてここに書くがそういう人達は私の歪んだレンズには「ネガティブな部分を見せて人に認められないかもしれない自分」を想定しないで済む環境もしくはそれを作りだしてきた魅力を持ってきた人たちに見えるときがある。
こんなことはただ私が自分を正当化したいが為の相手側への批判である。

私はネガティブな部分を垂れ流していて認められなかった自分や、簡単に否定されたり悪意のある人間に振り回されてきた自分が怖くて二度とそんな風になりたくないからやらないという選択肢を取っているだけで、今の自分が仮の姿だと思っているわけではさらさらない。
普通になるべく明るくて楽しい女の子でいられていることを気に入っている。
絵を好きだと応援してくれる人達はちゃんと絵から感情を汲み取ってくれてそれを伝えてくれたりする。

 

それでもアイデンティティを渇望する気持ちなのか序盤に述べたように「簡単な言葉で誰かに認めてもらおうとするなんて言葉への冒涜だ」なんて大義名分めいたただの嫉妬なのか、自分が認められなかったことで誰かに認めてもらえてる人を見ると苦しくて存在意義を見失ってしまいそうになる。

もちろん人の苦しみは私にはわからない。
簡単な不幸自慢めいたものや自己区分の主張で人の気を引けてきた人達の過去に、想像もつかない苦労や努力もあるだろう。
また、物差しも人それぞれである。

タンスに小指をぶつけただけで大騒ぎをしてしまう人が大金持ちで幸せそうな生活を送ってたとしても、タンスに小指をぶつけたらそりゃ痛い。普段怪我をあまりしない人なら尚更痛みを感じるかもしれない。
それがわかる人間でいられないときがある。
状況により不幸の度合いを競おうなんてしたら私はそれこそ私を嫌いになってしまうだろう。

一度、なんでも電話やラインですぐに悩み相談をしてくる女友達を明るめのテンションで励ましたら「それ、ピリンちゃん楽しみながら励ましてない?」と非難されたことがある。
どうして楽しみながら励ましたらいけないのか。他人にどこまで何を求めているのか。
そんな簡単に他人に自分の真意を丸ごとを求められる程気楽に生きてこれた人間が本当に不幸なのか。
本当に本当に羨ましくて悔しかった。

ただ私はそういった人達の批判をしたいわけでは本当になく、たまに先週みたいにどんなに苦労してきてもそれを言ったら嫌われてしまう自分の魅力のなさが自分に正面衝突してくるときがあって、そうなるとその自分の魅力のなさが憎くて憎くて仕方がなくなってしまうのである。

 

 

毒親だとかヤバい教師だとか醜形恐怖だとか低身長だとかADHDだとかアル中だとかそんな欲張りセットみたいな過去の話なんていらないものであって、今の私に繋がっている分全体として肯定出来ることもあっても本来主張すべきものではない。
私は自分を可哀想だと思ってもらいたいわけでもそこにアイデンティティを見出したいわけでもなくただそこにどうしても誰にもゆるしてもらえない自分の存在が映ってしまうことに負けてしまうのだ。
存在を全肯定されたことがないことを勝手に重荷にしてしまっているだけの話だ。

 

今日みたいに書き起こすのは珍しい。
今後も大体のことは絵に潜めさせようと思う。

 

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土産話と自慢話

最近私の頭の中には思想のこれっぽちも存在していない。
あまりに刹那的に生きている。
たまに自らを振り返らなくてはと思ったところで時間がないと言って時間の使い方を無作為に探して嘆いているだけである。

 

3年前買ってちょっとずつつけている日記帳も、そろそろ続きを書こうと思っては書かずじまいでリュックにずっと入っている。
そもそもこれを書いていたころの日記を読み返すこともあまりないのである。
たまに読み返すと胸が痛くなる。
その頃の苦労が云々、といった理由ではない。

 

私は大体のことは表裏一体で紙一重だと思っているのだがそのころの日記の中の自分というのは非常に表面的な物事によって自分を見出そうという意識の強い人間に見えた。

別に自分にしか見せないものなのだから表面的な部分の喜びを強く日記に記していてもいいはずであるが、どうにも自分には納得がいかなかった。

 

たまにセーブポイントを作ってあのときこれをしてこのときあれをしたなどを記録しておかないと、私のように普段から呆けていて普段から深夜徘徊ばかりしている人間は数十年後、もしくは数年後でも若年性のボケが来たところで周りにはまったく気づいてもらえないと思う。
私自身、どんなに近くにいる人間でも突然なんらかの原因で変わってしまったときその変貌を包み込んで見れるかと言われると非常に自信のないところがあるのだから
こんな天涯孤独に近いような人間が突然ボケたところで元の私とボケてる私を切り離し、元の私を信じようと出来る人間が一人でもいれば人生大成功だったと思えるくらいである。

 

 

少し話が逸れてしまったので戻すとしよう。
人間も物事も表裏一体で表面的な部分が強ければその裏にひっそりと張り付いている影の部分も濃い。
私の過去の日記に書いてある文章は、非常に明るくて形として将来それを読む自分が喜ぶに違いないと丁寧に綺麗に日常を切り取りラッピングしてあった。
だからこそ、いくら数年の年月が経ったといえ私自身を騙せるわけがないではないかとその頃の自分をなじりたくて仕方がなくなる。

 

身の回りにあった嬉しい出来事を未来の自分に膨らませて自慢してプレゼントにしてあげたい気持ちは時間が経ってしまえば他人の自慢話を聞くほどくだらないものに感じるもので、それさえも飛び越えて懐かしいと思える日が来るのであれば私はその馬鹿げた自己肯定の日記を書き続けてもいいのかもしれない、と考えあぐねている。

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ピリンちゃんがピリンザラザになった話

 

まずは私がなぜピリンザラザなどという何語でもなければ何の意味にもかかってない珍妙な名前を愛用しているかの説明からしよう。
「ピリンザラザ」は小学生の女の子がつけた名前である。
東京に来る一年程前、私が京都の児童館で働いていた頃におままごとの中で私に配役が割り振られた際「うーん、ピアノのピに一輪車のリン、先生の頭(刈り上げ)がザラザラだからザラザね!」と本当に3秒で思いついたに違いないノリでつけられたのがこの名前の由来だ。


この、意味のないけど小学生がパッと思いつく日常の好きなものに自分の刈り上げごときを組み込んでくれたことがなんだか嬉しくてたまらなかったので私はおままごとの夢が覚めないままにそのままピリンザラザでいることを選んでしまったのである。


ちなみに小学生はいつも私に悪者役を頼む(私が反抗して可愛い赤ちゃんやペットを演じれば演じる程『さてはこいつ…悪い魔女だな!みんな騙されたらダメよ!!!!』とどんどん演出が大きくなる)のでピリンザラザも確かそのときの役では両手を羽ばたかせながら歩いては子供を捕まえてくすぐり倒す謎の悪い鳥だったはずである。
そう思うとピリンザラザでいることが正解なのかどうかは非常に悩ましい。

 


ピリンザラザの名前がなんの意味もかかっていない日常の「好き」とそこにある「事実」のみで構成されているのも私の好きなポイントだ。元からある言葉のエネルギーに願いを込めるのも好きだけど、自分が何かを作るときはいずれは願いそのものになりたい。
だから「どういった言葉のイメージの私」というより私が作るものをイメージしたときに「ピリンザラザ」という言葉に意味が生まれる構造にしたいのである。
私はこの人生を、ピリンザラザという意味のない言葉の因果の糸を自分で紡ぎ、張り巡らせる旅にすることを決めたのだ。

 


恥ずかしい話だが上に上げた「好き」も「事実」も把握出来てなかったのがピリンザラザになる前の私である。ただ辛い思いを絵に変えて、それ以外の時間をどう過ごしていいかわからなかっただけであり絵を描くことそのものがプラスの行動であるとは言えなかった。

 


東京に行くことを決めたときも、京都に漂う漫然とした空気が嫌で嫌で仕方なくて、見たことがない景色がどうしても見たくて、誰かに「どこかに行けば変わるなんて思ってる人はどこに行っても変わらない。今の時代変われる人はどこにいても変われる」なんて言われた言葉が喉元をぎゅっと締めるような日々の中であった。

 


私達は伸縮する透明な箱の中を歩いているように思う時がある。
透明な箱なのに透明な箱の外は見えない。
その箱が意味のあるなにかで満ちているときだけ、その質量を示す液体越しに透明な箱の外の未来が見える気がする。その箱は弱っていると部屋のベッドの周りだけを囲むサイズまで小さくなってしまうし、頑張って外を見ようとして自転車で走り続けても、真夜中の何度も何度も見飽きた誰もいない京都の街並みじゃ質量不足だった。

 


その箱を満たす質量というものの正体たるや「好き」という感覚だと思うわけで、好きという感覚を発見したり育てたりすることは案外かなり難しい。
好きとはなにか。
それをここで語ると陳腐になってしまう上に定かな答えに辿り着けていない。
「好き」という感覚の正体を知っている人は是非ピリンちゃんまでご一報願いたい。
できればアルコールに身を包みながら真剣に語り聞かせて欲しい。


ただ私は京都を出る直前で、どうしても解放されたかったあの大人たちの間に漂う漫然とした惰性と小学生たちと関わってるときに見たキラキラした輝きの差に、飾りじゃない「好き」を見ているかどうかがあることを見つけた。おそらく24でやっと気づくのだからかなり遅い方である。


仲の良かった2年生のMちゃんという子はゴールドフィッシュという、魚の形をしたアメリカのビスケットのビジュアルがとても大好きで毎日毎日「先生ゴールドフィッシュ描いて!」と白い紙を持って私のところに来た。ゴールドフィッシュは本当に誰でも描けるザ・魚!といった感じの本当にただの魚だったのにMちゃんはそのただの魚に特別を見出して、ただの魚をオレンジ色に塗り、「ゴールドフィッシュはほんとうにかわいいねえ〜」といつもニコニコして愛でていたので、いつのまにか私にとってもゴールドフィッシュは忘れられない特別な魚になってしまった。
実はこの「ゴールドフィッシュ」は私の絵のモチーフにもちょっとずつ登場している。
支離滅裂かもしれないが、私が思う「好き」はこういうことなのかなと思う。
幸せな惚気話でも聞いてしまったと思ってくれればいい。

 


児童館の小学生たちとは連絡先を交換していない。
この春先に児童館を辞める際に、特に仲の良かった子供たちには「先生、東京で絵描き続けてグッズとか作って売るから10年後逢いにおいでね。」と言い残してピリンザラザという名前を書いた手紙を渡してしまったので小学生にもう一度会いたい以上は親にバレようが何があろうがこの名前を変えずに前に進み続けるしかないという約束も兼ねている。

 


小学生たちにとっては幼少期過ごした少し変わったお姉さんとの約束なんてものはファンタジーかもしれない。
きっとこの先大人になっていく過程で記憶の隙間に埋もれてしまうかもしれないけれど、 私はどうしてもまたその子達に逢いたいし、恩返しがしたい。

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ピリンちゃんは履歴書恐怖症

 

履歴書恐怖症とは私のようなパッパラパー生活を送っているものにはわりかしありがちな症状なのではないか。
25歳、大学入学当初から常にお金を持っているとは言えない状況であった私は数多くのアルバイトをこなしてきた。
これはまた別のことになるので深くは触れないでおくが、根本的に自分の女性性に対する自信が非常に薄いおかげか身体で稼ぐようなことをしたことはない。特に偏見があるわけではないので私が人並みに身長があって人並みに容姿に恵まれていたらパパ活だろうが水商売だろうがバリバリして稼げるうちに稼いでもよかっただろうとは思っている。


高校生で働いたマ○ドナルドから始まり、大学一年生らしく居酒屋でアルバイトをして同僚のウェイに混ざって偽物の狂乱に溺れたときもあれば地元のヤンキーとメンヘラ女に囲まれながらガールズバーでバイトをしていた時期やいかにも京都な小料理屋でおかみに京都特有の嫌味を浴びせられながら働いていたこともある。
この辺はまだ普通の部類で、大学後期ではコスプレに興味もないのにただ楽だからという知人の勧めにより働きはじめたコスプレバーのアル中マスターと妙にウマが合い、ここでアル中英才教育を受けてしまった為に営業終了後も朝まで飲んだくれることを覚えた。


アル中生活からの復活をかけて始めたエステのバイトではひたすら穴を掘って女性たちを熱い砂に埋めては「デトックスしてますよ〜」と胡散臭い声をかけ、更に胡散臭い店主のマダムと常連のエンジェルスピリチュアルカウンセラーを名乗る謎の大金持ちのおばさんのスピリチュアル会話に耳を傾けた。


余談な上に完全に私のただの経験則だが、京都には胡散臭い人間が妙に多い。
すぐそこに寺や神社があるのにも関わらずやたらと「〜宇宙に身を任せましょう〜」というような胡散臭い上に手っ取り早いスピリチュアルが横行している。鎌倉時代浄土真宗をはじめとしたお手軽宗教が流行った土地柄もあるのかそういったお手軽スピリチュアル会話をする人間が多いのだ。
ちなみに私がこの世で一番信じているお手軽スピリチュアルはしいたけ占いである。
しいたけ占い魚座を通して私を語っている。しいたけには最早バーナム効果なんてものは通用しない。彼は現代までこっそり生きながらえた卑弥呼そのものか卑弥呼の血を引く子孫に間違いない。


話が逸れてしまったがその後はライブハウスでバイトをしたりコールセンターでバイトをしたり鉄道番組を製作している小さな会社のロケに一応ADという名目で着いてってはこれまたスピリチュアルな社長の話に相槌を打つバイト、それの派生でなぜか無償で30分間地方のラジオ番組で喋り倒すラジオパーソナリティーなどもやったが、話が下手すぎたために無償なのに三カ月でクビになったり…で転々としてきてやっと二年前、児童館で働きながら夜だけ家出少女の世話をするバイトをしたりといった感じである。
語ろうとしても語り尽くせないくらいバラエティ豊かでそこそこ面白い話もあるにも関わらず、履歴書に書けるようなことがあまりにも乏しく、悔しくなったからここにだけ書き記しておく。
いつかこんな話が役に立つ日は来るだろうか。

 

どの仕事もそれなりの面白さがあったとはいえ、どうしても止むを得ず東京に来たくて辞めた、家出少女の家のバイトと児童館のバイト以外は自分という人間の社会への不向きさを固めてしまっているだけなのである。

 

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ピリンちゃんは授業が1ミリもわからない

 
私が普段一体何をしている人なのか、全くわからない人も多いだろう。
実は私は6月から平日週5日間、夕刻から職業訓練学校に通いキャラクターデザインや3DCGなどを学んでいる。
という体である。


ひとえにキャラクターデザインといってもキャラクターデザインだけをやらせてくれるわけではなく、総合的な力のある人材を云々という理由によりこのところ1ヶ月くらいずっとプログラミングの授業を受けている。
授業は先生のしたことや教材に書いてあることを目の前のパソコンに打ち込んでいくという流れになるが、これが1ミリもわからない。
どこに何のフォルダがあるかの時点でつまづいたりを繰り返している。
何がわからないって、何がわからないのかもわからないのである。
私以外の同じ教室にいる皆は超人かもしれない。先生の読み上げる言葉も書いているプログラミング言語だか数字だかの意味も、1ミクロンもわからない。
雨や車の音のような環境音の方がまだ認識されててもおかしくないだろうというくらいに授業で話される言葉は私の脳を介さずに耳を通り抜けていってるらしい。


どうやら私は人と物事の理解の方式が確実に異なっている。


簡単に言えば目で見たり耳で脳に入れたものを感覚的に理解して行動に移すのが昔から極端に苦手なのである。
ダンスなどがまさにその通りの例で、どうしても空間で把握したものを自分のものにしたかったら一度言葉に直して反復を繰り返すのが吉である。
ピリンちゃんを守ってくれているのは言葉だけで、ピリンちゃんはいつもおそらくいろんな分子で作られた目の前にある階段を毎度言葉で構築し直してゆっくり上るような生き方をしている。

 


そんなことは今日の本題ではない。
人と認識能力に差があるらしい私でも、さすがにここまで何もわからないことははじめてかもしれないのだ。


私はついにとうとうあまりにも授業がわからなすぎて二週間程前、匙を投げてしまったのだ。
実際に匙を投げられているのは私であろう。
匙を投げた私が何をしているかというと、授業にウンウンとうなづいて、澄ました顔をして隣の関くんばりにクリエイティブに暇つぶしをしている。
このようにブログを書いているときもあれば絵を描いているときもあり、作るアクセサリーに使えそうなパーツを見漁ったりなどと充実した時間を過ごしている。
仲良くしてくれているお店が作りたいと申し出てくれた私の絵のタイツ柄のテキスタイルなども学校で使っているソフトを使ってこっそり作っている。
ついでにちょうどいいところにコンセントがあるのでiPadの充電もさせていただいているところだ。

 


授業は50分間×5、おそらく先生は私が1ミリもついてきてないことも完全に絵を描いていることも気づいていて見過ごしてくれているのだろう。
それでもいつか
「どうですか?」
「どこまでできてますか?」などと聞かれてしまったら
私はその場で皆の前でひれ伏して
「すみません何もわかってないので半端なく遊んでましたごめんなさい!!!!!!」と謝り切るしかないだろう。
おそらく私より後ろの席の人たちは「やっぱりな…」と思うに違いないし、私より前の席の人たちも「やっぱりか…」と思うような気がする。

 

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